小学4年生で塾に通い始めるようになってから,4時44分44秒をほぼ毎日見るようになった。当時は.4=死を連想してしまい,4のゾロ目を見るたびに、とても不吉だと感じていた。

しかも。受験のために、慣れない塾で夜遅くまで、クタクタになりながら嫌いな勉強をするようになった矢先に4時44分44秒を見始めたから、より不気味な数字に思えたのだった。

その人に似合った言葉は魂を宿し、言霊となって力を発揮する

それから3年後。
無事に受験を終えた私は、中学校の入学式で、
「えーっと。あなたは…4組の、出席番号44番ですね」と、係の生徒さんに言われてしまった。

でた!ここでも4のゾロ目だ!

4(死)が私の周りを付きまとってくる!

思わず、「うわ、めっちゃ不幸!」という言葉がポロっと口をついて出そうになった。
が、それより先に、左隣にいた母が「あら、シあわせ (4合わせ)ね.ぷふっ」と、サラッと言って笑いのけたのだ(ちなみに、係の生徒さんは若干苦笑いだった) 。

言葉は本当に不思議だ。服とか髪型みたいに、その人に似合う、似合わないがある。
その人が、その人に似合う言葉を発するからこそ、言葉は魂を宿し、言霊となって力を発揮する。

私の母は、とても忘れっぽくて、酒豪で、気が強い。弱気の母なんて、私の記憶にはいない。
友人にも、「あんたのお母さん、頼り甲斐があるし、ハキハキしているし、本当に肝っ玉母ちゃんって感じだよね笑」と言われたことがある。母が肝っ玉母ちゃんなのは、娘の私が一番よく知っている。

入学式での母の言葉は、私に大事なことを教えてくれた

だから、入学式で母が、何気なく「シあわせね」と言った時、本当に肝っ玉母ちゃんらしい言葉だなと感心した。
母の見ている世界は、間違いなく「シあわせ」だ。だから母には「シあわせ」という言葉がぴったり似合う。母が言ったからこそ、「シあわせ」という言葉は力を発揮し、私の思考を変えてくれた。母の「シあわせ」は、私に大事なことを教えてくれた

4時44分44秒が不吉だったんじゃない。私の捉え方が卑屈だっただけだ。

同じ出来事のはずなのに、不幸だと感じる人もいれば、幸福だと感じる人もいる。
哲学者のニーチェも、「事実というものは存在しない。解釈だけが存在する」という言葉を残している。

つまり世界は全て捉えようだ。そして、捉えようを反映するのが言葉だ。

私は「不幸」ではなく、「シあわせ」が似合う人間になってやる

私は、不幸という言葉が似合う人間にはなりたくない。捉え方次第で世界が変わるなら、私は「シあわせ」が似合う人間になってやる。4は私の周りを付きまとってくる不幸な数字なんかじゃない。私にとってのラッキーナンバーだ。

以来、強気な母の言霊が私に乗り移った。

4時44分44秒を見るたびに、私の記憶は中学校の入学式まで遡る。そして、左隣で母が「あら,シあわせ (4合わせ)ね。ぷふっ」と言って笑うのだ。

10年以上経った今。忘れっぽい母はきっと、入学式で「シあわせね」と言ったことなんて覚えていないだろう。

私は、24歳になってもなお、毎日のように4時44分44秒を見る。だけど、不幸だなんて微塵も思わない。だって、今日も私には「シあわせ」という言葉が憑いているから。

(参考:ニーチェ全集12『権力への意志 上』(ちくま学芸文庫,1993年))