最近、仕事に行くのが嫌になってきた。
心なしか体が重い。お客さんに接するのが億劫になる。めんどくさい、ここにいるのはわたしじゃなくてもいいんじゃないか、そんな思いがぐるぐる頭の中を巡る。

なんとなく仕事に慣れてきて、手の抜き方もわかり始めてきていた

わたしは葬儀社でアルバイトとして働き始めて7ヶ月が経過していた。
この業界が夢であったわたしは、とある精神疾患と付き合いながら無理せず働くためにアルバイトの道を選んだ。
そこで言われることが増えてきた言葉。
「社員にならないの?」
「若いからさ、社員として働いた方が先々いいと思うよ」
わたしは悩んでいた。社員として働くことは確かに魅力的だった。責任が増える分、お客さんの近くで仕事ができる、そのことが羨ましかった。
仕事へのやる気がなくなってきたのは、そんなことを言われてしばらく経ってからだった。

何かきっかけがあったわけじゃない。
ただなんとなく仕事に慣れてきて、手の抜き方もわかり始めてきていたのだ。
緊張感がなくなっていた。
わたしの仕事はミスが目立つようになってきた。お客様に迷惑はかけずとも、裏で社員の足を引っ張るようなことが出てきていた。
まずい、と思うより先に、めんどくさい、という感情が先に出る。
いけない、いけない、と思っても、早く帰りたいという気持ちが、わたしを支配していた。

小説に出てくる登場人物は、何かを獲得しようと奮闘していた

わたしは5日間仕事を休むことに決めた。このままだと間違いなくお客様に迷惑をかけてしまう、と判断してのことだった。
わたしは仕事を休んで、よく眠り、本を読んで暮らした。

本の中にはいろんな人物が出てくる。
そしてその中で、わたしはあることに気がついた。
それは、小説に出てくる登場人物というのは、何かを失っており、何かを獲得しようと奮闘している、ということ。
親を殺された子が敵討ちのため強くなるように、恋人との愛が冷めた女が新しい恋をするため奮闘するように、そういう何かを掴み取るための努力や葛藤、というのが描かれていることに気がついたのだ。
わたしはハッとする。わたしは今、確かに何かを失い始めているのだ。
しかしそれは同時に、何かを獲得できる余地を持ち始めている、ということに。

人へサービスをしている意識が低下していたのかも、と気づいた

わたしは自分の仕事について改めて考え始めた。
愛する家族の死に直面した遺族は笑顔を見せるくらい穏やかな人が多い。でもそれは大きな悲しみを抱えたはにかみに過ぎないということ。
棺の蓋を閉める直前、泣き崩れる人も多いということ。
ありがとうございました、と丁寧に頭を下げて帰っていく人々。
わたしは仕事に慣れるあまり、人に対してサービスを施している、という意識が低下していたのかもしれない、と気がついた。

わたしはしっかりと休んで、また働き始めた。
何かできることはないか、と前のめりな姿勢で仕事に取り組むことができるようになった。
「社員にならないの?」
今はまだ、それを考える猶予期間だと思っている。
わたしは今、物語の主人公のように、何かを獲得しようと、もがいている。
それを獲得した時、見えてきた景色の中で、わたしは正社員として働くということも、考えてみてもいいのかもしれない。