初めてPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断を聞いた時、実感が湧かなかった。異国の戦場で想像を絶するようなストレスを受けた人間がなるもので、まさか自分がそれに当てはまっていたとは知らなかったのだ。

昔から通っている精神科で、自分の病気について聞いたことがなかった

自分がPTSDを患っていることを知ったのは発症から9年後、精神障害者保健福祉手帳を取得するにあたり、大まかな病名を担当医から教えてもらった時だった。

15歳から通っている精神科で、私はあまり自分の病気について聞いたことがなかった。病名なんてつけようと思えば、いくらでも付くことを察していたのもあるし、病名を聞けば調べて、治すために努力する自分が容易に想像がついたので、知る気が起きなかったのだ。

大まかにいえばうつ病、あとはその時次第で、色々な症状が出たりしたが、担当医が適切な判断をしてくれたし、カルテには記載されているだろうし問題はなかった。

ただ、PTSDという映画でしか見聞きしたことがないものに自分がなっていることは、予想外の驚きだった。

確かに私は母から虐待されていたし、いつ自分が殺されるか分からないと思いながら過ごしていた。15歳の時、母が隣の部屋で自死しているのだから、客観的に見れば心的外傷後ストレス障害という病名ほど適切なものはないが、正直その周辺の記憶がおぼろげなので大したことはなかったと思っていたのだ。

うつ病となにが違うのだろう、本当にそうなんだろうか、と半信半疑だったが、25歳の冬、PTSDの症状があるきっかけで、再び降りかかってきた。

夢と現実の境が分からなくなり、言葉にできない恐怖を感じるように

結論からいえば、うつ病とPTSDは全く違ったもので、何度か死にかけたことがある身でも、今回ばかりはヤバいと思うほどだった。

毎晩、悪夢を見るようになり、眠るのが怖くなり、そのうち起きていても夢から醒めないような気がしてきた。「私じゃない、私じゃない!」と言っても聞かない相手に殺される夢を見て、ハッと起きれば優しげな顔をした女性に「やっと起きたの?みんな待ってるよ」と声をかけられる。

夢の中で殺されたばかりの私は、それどころではないから「勘弁してくれ、許してくれ」と言うのだけれど、彼女は聞かず、また夢の中で殺される、そうして目が覚めて……の繰り返しだ。

こわばって1ミリも動かない体に、激しい動悸と汗で張り付いたパジャマ、猫の寝息が遠くに聞こえればやっと現実だと分かって、浅く息を吐く。そんな生活に2日で音をあげだ私は、その頃「正気じゃいられない」とメモ帳に書き残していた。

元々夢見は悪く、廃墟のハンバーガー屋のオーナーから死に物狂いで逃げたり、古都で迷子になって泣きべそをかいたりする夢をよく見たが、それらはフィクション性が高く小説じみていて、夢は夢だと分かるものばかりだった。

睡眠剤を飲んでいても眠りが浅いのは、10年間変わっていないから慣れていたし、さほど辛いと思ったことはなかった。そんな私が、夢と現実の境がだんだんと分からなくなり、いつも言葉にできない恐怖を感じることになった。

お腹を刺されるから丸まっていようと、背中の筋肉が痙攣するようになった。PTSDの症状がまた出るようになったのはなんてことはない、些細な意見の食い違いが原因だった。

全ての「めんどくさい人間」が、傷付かずに生きていけるように!

たまたま母に似た年代の人に、たまたま母がよく私に接していたように接せられた。不運な事故のようなコミュニケーションの行き違いは、避けられなかった私にも責はあるだろう。

誰がどんなことに傷つくかなんて分からない。どの程度ダメージを受けるかなんて、もっと分からない。自分にとっては聞き流せることでも、他人にとってはそうではないかもしれない。だからこそ、ある程度越えてはいけないラインを見極めながら、人と接したいと改めて思わされた。

巡り巡ってそれが自分の生きやすさにつながるだろうし、皆がそうすれば傷つく人は減ると思う。相手だって、まさか私のPTSDの引き金を引いてしまったとは、思いも寄らないだろうが、私も全ての外的要因から自分を守るのは不可能だ。

「傷ついたのはあなたが繊細だから」なんてセリフは、古めかしくて聞いてられないし、それが例え正しくても、傷ついた人間にそう言う人間にはなりたくない。

私は元々傷だらけの人間で、それを塗り固めて生きているものだから、人より確かに繊細だ。だが、だからって傷ついたのを受け流せなかった自分のせいだとは、思いたくない。

めんどくさい人間の自覚はあるが、全てのめんどくさい人間が傷付かずに生きていけるように、まずは自分から始めたいと思う。