「女の子はお酒を注がなきゃいけないの!」と祖母が激怒した時に味わった屈辱

わたしが一族を変えるなら、“子どもの性別の決定権は本人にあること”、“誰であってもその権利は侵害できないこと”、“家事は性別問わず全員で行うこと”の3つを家訓として掲げる。
わたしは、産まれたときから両親をはじめ祖父母、その他親戚によってかけられ続けてきた“女の子の呪い”を解きたい。
正月や盆が来ると、決まって本家である父の実家に帰省していた。居間でひっくり返ってビールをあおる父や伯父たちと、長いあいだ新幹線に揺られて疲れていても、到着してすぐエプロンをつけて忙しなく働く母や伯母たち。幼心にふしぎに思っていた。
従兄弟はわたし以外全員男だったから、成長するにつれ家事の手伝いを強要されることが増えていった。「お皿を運びなさい」「お箸を並べなさい」「机を拭きなさい」……これらの台詞は、従兄弟たちに言われることは決してない。言われるのはいつだって、“女の子”であるわたしだけだった。
「どうして女の子ってだけで家事をしなくちゃならないの?」と訊くことはできなかった。訊くことすら、疑問を持つことすら、タブーであるという暗黙の了解がそこにはあった。わたしは、年末の紅白歌合戦やガキ使を座って観ることすら許されていないのに、従兄弟たちはカルタやチャンバラごっこではしゃいでいても咎められない。
“女の子”を特に執拗に押し付けてきたのは、祖母だった。親戚一同で温泉宿に泊まりに行ったとき、従兄がみんなの前でわたしに「お酒を注いでくれ」と言ってきたことがある。小学校6年生くらいの話なのだが、そのころにはもう、自分の心が“女の子”ではないということに薄々気がついていた。だからこそ余計に、その横柄で傲慢な命令に、あからさまに眉を顰めてしまった。なぜ、わたしにそんなことをさせようとするのか、自分で注げばいいじゃないか。
顔色の変わったわたしを、祖母は叱りつけた。「女の子はお酒を注がなきゃいけないの!」と目をつり上げる祖母のその言葉に、心の底から絶望したのをよく覚えている。人生で、最初に味わった屈辱だった。
ああ、“女の子”の身体を持って産まれてきたわたしは、一生男性の従属物でしかいられないのか。主体になる権利すらないというのか。じゃあ、生きてる意味ってなんなんだろう。
わたし、自分のことを「女の子」だなんて、一度も言ったことないのに。まだわたしが決めてすらいないのに、なぜ周りの大人が勝手にわたしを“女の子”だと決めつけるのだろう。悔しさと腹立たしさで、頭がおかしくなりそうだった。
従兄も祖母も、たぶんきっとこのときのことなんて覚えていない。でも、わたしは一生忘れられない。女性が虐げられる場面を見るたび、このことがフラッシュバックして、従兄と祖母をくびり殺したい衝動に駆られる。
だからこそ、一族の中でもっとも遵守すべき家訓として、冒頭の3つを制定したいのだ。性別を決めるのは本人であって、身体のかたちがどうであろうと大人たちが勝手に決めてはいけないこと。
それがどういった選択であろうと、だれにも口を挟む権利などないこと。ただ尊重して、受け入れること。そして、家事を“女性”にだけ押し付けないこと。
自分がなにであるか、なにでないのか、どんなひとをすきになるか、すきにならないのか、決めるのは本人だ。たとえ血の繋がった家族であろうと、非難したり否定したりする権利などない。
そして、“女性だから”・“男性だから”しなければならないことも、この世にはひとつもない。家事は生活のために必要なことであって、その得手不得手は性別によって決まらない。決めつけてはいけない。そんな当たり前の権利を、だれもが保障される社会であって欲しい。そのためにまず、自分の血縁者の意識から改革したいのだ。
わたしに酒を注ぐことを強要しようとした従兄の弟に、このあいだ子供が産まれた。一族の中では、わたし以来28年ぶりの“女の子”である。親戚連中がひさしぶりの“女の子”に浮かれている今だからこそ、わたしはこのことを彼らに突きつけてやりたい。
その子が“女の子”かどうかは、その子自身が決めることだ。どうか願わくは、その子は“女の子”であることで、悲しい思いをしませんように。何年経っても消えない恨みや憎しみに心を苛まれることなく、健やかに楽しく生きていくことができますように。
一族の少数派である同じ身体女性性保持者の人間として、その子が幸せに育つことができるよう尽力するとここに誓う。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。