人見知りで、うつむいていた私。バレエ教室のあの子が楽しい世界を教えてくれた

私は幼い頃から人見知りが激しく、いつもうつむいているような子供だった。
小学生になってすぐ、私は近所のバレエ教室に通い始めたのだが、その時も、初めましての環境が苦手な私は、ずっとへの字に口を結んで自己紹介もまともにできなかったことを覚えている。
「ねぇね、こないだの見学の子だよね?」
だから、学校でなんのためらいもなくいきなり話しかけてきた「あの子」に、私は思わずたじろいだ。バレエ教室の見学に行った時には、緊張が最高潮に達していたから気付かなかったけれど、どうやら生徒の1人に、その子はいたらしいのだ。
「真っ赤なレオタード着てたよね。1人だけ派手な赤なんだもん、笑っちゃった」
その子は人懐こい笑い方で、おしゃべりをする時には必ず目をきらきらとさせた。私が明らかに苦笑いを浮かべていても、まったく平気らしかった。
私は幼稚園の頃、ダンス部という1年に1回幼稚園内で発表会があるようなダンス教室に通っていて、そこではみんな同じ、赤いレオタードを着ていた。赤いレオタードに赤いバレエシューズ、というのがその幼稚園のダンス部の決まりだったのだ。
それが当たり前のようになっていた私は、バレエ教室の見学の時には1ミリもおかしいとは思わなかったが、その子には強烈な印象を残してしまったらしい。
お家どこなの?
幼稚園はどこ行ってたの?
踊り好きなの?
とにかく質問攻めを喰らったことを覚えている。
彼女は、私にはないものを持っていた。先生や友達のお母さんなど、目上の人にも動じずによくおしゃべりをした。そして誰のことも笑わせ、すぐに仲良くなることができた。
「ねぇねぇ、今度私のお家に遊びに来てよ」
彼女は散々レオタードについて語ったあと(ふつうバレエ教室では白色や桜色や薄い水色などのレオタードが主流なんだといったようなこと)、一層目をきらきらとさせて私にそう言った。
なんだか家に誘われてしまった、と思いつつ、でも勢いに圧倒されて遊びに行くことを約束してしまった。
いざお家に遊びに行くと、彼女のお母さんが快く出迎えてくれた。とても居心地の良いお家で、お菓子やらゲームやらおもちゃやらがたくさんあった。
そして、リビングにはピアノも置かれていた。いつも蓋は開け放たれていて、鍵盤が見える状態になっていた。彼女はバレエの他にピアノも教室に通っているのだと言った。
「でもね、練習していかないからいつも怒られるんだぁ」とも。首をすくめ、舌を出した彼女に思わず私は笑った。
それから毎日のように彼女のお家に遊びに行くようになり、クラスの好きな男の子の話や、バレエの発表会の演目の話などひたすらおしゃべりに没頭し、たまに外でも遊んだ。私は彼女に出会って、今までが嘘のように明るい性格になった。
学校も一緒に行くようになった。朝、ランドセルを背負って約束した時間に彼女のお家を訪れるのだが、彼女は必ず時間通りに出てこなかった。
朝は低血圧でどうしても起きれないのだと、悪びれもせずによく彼女は言った。
バレエ教室でも、自他共に認める「おてんば娘」たちで、私たちはよくバレエの先生を困らせた。でも彼女と一緒だったら、怖いものなどなかったように思う。
私は彼女がいたら、一瞬にして「おてんば娘」になることができた。それは私にとって、明るくて健康的な、絶対的なものだった。彼女は私に今までとはまるで違う、もっともっと楽しくて面白い世界を教えてくれた。
それから彼女と私は、小学校を卒業し、別々の中学校に進学した。
でも相変わらず仲良しで、お互いの好きなもの、嫌いなもの、すべてを知り尽くした親友として、久しぶりに会えばお互いの近況報告をした。
やがて月日は流れて会うこともあまりなくなった今だが、かつて人と話すことが億劫でただただ日常を時間潰しのように過ごす子供だった私に、彼女は人と話すことの特別さを教えてくれたなと、やはり今でもそう思う。
そして、あっという間に過ぎ去っていく「楽しい時間」というものがあることも。
私が大人になって、ほんの少しの緊張と勇気をふりしぼる時、例えば初めましての出会いや、アルバイトでの電話口や、目上の上司と話す時、小学生の時の彼女は今でも私の心の片隅に少しだけ顔を覗かせてくれる気がする。
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