26歳の誕生日を目の前に、考えるのは「寂しさ」の行先だった

時折、自分でもどうしようもないくらい寂しくなる時がある。息をするのが苦しくて、悲しくてたまらない時がある。
昔に比べたら色んなものを手にしているのに、自分が誰からも必要とされない人間だなんてもう思っていないのに、それでもまだ足りないと思ってしまう。これでもまだ足りないなんてどれだけ欲深いんだろうと恥ずかしくなるし、他の人はこんな感情を抱かずに生きていけているのに何故だろうと悩む。

子供の頃からずっと寂しかった、大人になれば治ると思っていた。歳を重ねれば重ねるほど、孤独は深まっていく気がする。

今私は、26歳の誕生日を前にして途方に暮れている。
住む所があり、食べるものがあり、学校に行かせてもらえるだけありがたいと思っていた小学生の頃。毎晩、今夜私は殺されるかも知れないと思いながら眠るのが当たり前で、でも雨風凌げる場所があるだけ私は幸せ者だと思っていた。
雨が降るたび、今でもその頃の気持ちを思い出す。

雨の日は昔のことを考えてしまう。思い出すのは母との記憶

同じクラスのFちゃんは、好きな服をお母さんに買ってもらったんだって、ねぇママ。
母は別に、私を愛していないわけではなかった。きちんとした子供に育てようとするばかり、子供と自分の境目がわからなくなってしまっただけだ。

母が選んだ服、母が作った服を着て育った。みどりの日に生まれたから、あなたはこの家で緑の子。ベッドシーツ、箸、カーテン、全部が緑だった。緑は好きじゃなかったけれど、それが聞き入れられることはなかった。

少女趣味な母はカントリーなデザインのものが好きだった。好きか嫌いかを考える前から母の趣味のものに囲まれて育った。
高学年になって身長が伸びると、母とお揃いのものを着るようになった。同じものを色違いで買ってきて、「佳苗はどっちがいい?」と聞かれる。どちらもいらないと答えれば烈火の如く怒るのだった。

自分の服はあまり持っていなかった、母とサイズが同じだったから。母が自死した後、私は何を着ればいいのか分からずに困った。クローゼットを開けても母の服しかない。色んなものが色違いで二揃いある。物の多さに途方に暮れた。

雨の日は、昔のことをよく考える。雨風が窓に当たる音、暗くなる空、だるい体、それら全てが私を外から守ってくれているようで安心するから。過去ばかり振り返っていてはいけないよなんて厳しいことを言う人がいなくなるような気がするから。雨の日はそんなに嫌いじゃない。

大人になって分かった母のこと。他愛もないことを思い出すのも雨

母が生きていた頃、よく二人で買い物に行った。母が服を選んで、私を鏡の前に連れて行って「どう?」と聞く。「似合ってるんじゃない」と答えれば「よく見て」と怒られる。めんどくさい人だった。似合うといえばどこが?と聞き、変だといえば文句を言うなと言う。
どうせ私の意見なんて聞いていなくて、母の心が決まればそれは母の服兼、たまに私の服になる。買い物の時間が嫌いだった。

あちこち連れまわされて重たい服を試着させられる。私は当時BMIが16しかない、ガリガリの子供だった。大人が着るコートや、母が好むマフラーは重すぎて、好きじゃなかった。

でも、服が重いなんて他の子が言っているのを聞いたことがなかったから言えなかった。足元に付くくらい長いマフラーを三重に巻いて登校した私に、クラスメイトは「かなえちゃんのマフラー、長いね」と不思議そうに言った。マフラーも手袋も邪魔で付けたくなかったが、学校へ持っていかないと怒られるものだから仕方なかった。私の周りには、仕方のないことが溢れていた。

雨の日は、そんな他愛もないことを思い出す。
母が私に望んだものは、子供の頃は分からなかったが、今ならよく分かる。母は子供より子供だったし、寂しがり屋の大人だった。今の私は、あの頃の母に似ているんじゃないかと思う。受け取ってこなかった愛情を、対象じゃない人に求める人。親から、好きな人からもらいたかったことを、自分の身近にいてくれる人間にしてもらう人。
歳をとる度、私は母に近くなっていく。雨の音を聞くと、そう思う。
怖くて寂しくて、どうしようもなくなる。