家族は自分で作れるけど、私と「血の繋がった父」は彼ただ一人だから

私には二人の父がいます。血が繋がっている実の父と、母の再婚相手である義理の父です。
母は離婚して1年ほどで再婚し、それから1年ほどで自死しました。私が高校生になったら、義理の父の戸籍に入ることになっていたのですが、母が亡くなった時点で中学生だったので義父とは書類上、赤の他人になってしまいました。
親権は、離婚して遠くで暮らしていた実の父が持ちました。当時15歳の私は、母からの虐待の反動と、自死を見たショックでPTSDとうつ病になりました。その頃の事はあまり覚えておらず、ぼんやりしている間に色んなことが終わっていました。
昔から関わりのなかった実の父とあまりコミュニケーションが取れないでいると、父や親類は「かなちゃんが選んだことだよ」「お前のために仕事を変えたのに」「あなたが『お父さんがいい』って言ったのよ」と言いました。
精神的に不安定であることを理解してもらえず、なぜ学校へ行かないのか、なぜ部屋から出てこないのか、なぜリストカットをするのか、周りの大人は誰も理解できないようでした。
私自身も、うまく説明はできませんでした。「誰のおかげで生きてると思ってるんだ」と言われるたびに、「たとえ私が頼んだ事だとしても、親権を持つと決めたのはお父さんだから、私が成人するまではあなたには育てる義務があるんです」とお願いしました。
父は全く理解できない生き物を見る目で、「かなえは本当にママに似てるな」と言いました。「本当に淡々と、喋るんだな。分かったよ」と言った父は、決して悪い人ではなかったのだと思います。ただ、私と父の世界や、扱う言葉、求めるコミュニケーションや親子の関係は重なることがなく、お互いどうしようもなく平行線でした。
祖父が連れて行ってくれた精神科の医師に、よく父のことを話しました。「かなえは大事な子供だからなんでもする」と言うのに、リストカットをしているところを見ても、「大丈夫か」の一言も言ってくれない。「父は何を持って『愛している』と言うのだろう」と私が言えば、医師は慎重に言葉を選んで「お父さんはかなり不器用なんですよ」と言いました。
当時は何のことかわかりませんでしたが、25歳になった今ならわかります。父は多分、なんでそんなことをしているのか、本当に理解できなかったのでしょう。
母を亡くした私が一緒に死にたかったと思っていることも、私のせいで死んだんじゃないかと思っていることも、とても寂しくて悲しいことも、多分、父にはわからなかったのです。10代の私は、それがどうしようもなく悲しくて悔しくて、なぜわかってくれないのか苛立ち、怒り、父のことを嫌悪しました。
今は、そうでもありません。私の気持ちをどれだけ説明しても父には伝わらないし、理解はしてもらえないけれど、父の「かなえのことを愛している」という言葉はきっと本当なのだと思うからです。
愛しているからといって、何を求めているのか、親としてどう振る舞えばいいのかがわかる人ではないのです。ただ、それだけのことでした。
私は父のことが嫌いではありません、育ててもらったこともありがたいと思っています。だけれども、彼と家族になることは、きっとこの先もないのだろうなと思います。
大人になると諦めることと、期待しないことが上手になります。でも、それは悪いことばかりではないと思うのです。難しいことを追い求めるより、私がつくりたい家族を自分で探せばいい、今はそう思っています。大人になると世界が広がりますし、家族も自分で作れます。それでも、私の血の繋がった父は彼ただ一人だと思うのです。
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