高身長で痩せ型、物腰柔らかで、思慮深く、人当たりがいい。
それが、私が最初に抱いた彼の印象である。申し分のない人。むしろ私にはもったいないだろうなどと、臆病者である心の中の私はつぶやいた。

お食事会を経て、「申し分のない彼」と2人で会うようになった

彼と最初に出会ったとき、彼と彼のお母さんと私、というなんとも面白い構図で、私たちは渋谷の駅ビルの中のレストランに入り、食事をした。

それは彼のお母さんの提案で、もちろん私と彼のお母さんは顔見知りで、私からすると前職のクライアントさんなのだったが、実際にはその関係よりももっと親しく、良くしてくださっている方だった。

そしてある日仕事場でお会いした際に、どうかうちの息子と一度会って下さいませんか、とふいに話を持ちかけられたのだった。うちの息子はなんせ奥手なもんですから、と、彼のお母さんは言った。
私はもちろん快諾した。それはぜひ!楽しみにしています!と。

そうして実現した、まるでお見合いのようなお食事会を経て、彼と私は2人でも会うようになった。

2人で公園に出かけ、広い敷地の中を自然の空気を吸い込みながら長いこと歩きまわることもあったし、ボートに乗って水辺を散策することもあった。美術館にも出かけたし、ハンバーガー屋さんでハンバーガーと飲み物をテイクアウトして、それもまた公園のベンチでピクニックのようなことを楽しんだりもした。

そろそろお付き合いしましょう、という話に一向にならない私と彼

そして、私たちは何時間でも話し込んだ。それがなにより楽しかった。
彼は自分の生い立ちや、自分が昔から持っていて捨てられないという、ネガティブな感情に関しても話してくれた。

彼は幼少期にご両親のお仕事の関係で海外と日本を行ったり来たりしたこと、転勤族だったために人と新しく関係を構築することに嫌気がさしていた少年期、それゆえに今でも人より少し冷めた観点をしていること。そしてそのことが、彼のお母さんのいう「奥手である」ことに関係していること。

けれど私は、その奥手加減が魅力的だと感じたし、より彼のことを知れた気がして、彼の、彼だけの孤独に近づけたような気がして、彼の言葉ひとつひとつを、注意深く、また興味深く聞いた。

そしてもちろん私も、私が持っている、私だけの孤独について嘘偽りなく彼に話した。
彼もまた同じように聞いてくれるのだった。

やがて日も暮れて、さよならをする時間にはいつも幸福感に包まれていた。今日も会えて幸せだった、という幸福感だ。
そして私はその時もまた思う。「申し分のない人」だ、と。

だが、1つ問題があった。
それは彼と私が、お互いのことをある程度知ってしまったあとだった。
私たちは似すぎていたのだ、と思う。そろそろ私たちお付き合いしましょう、という話に一向にならないのだ。
私は待っていた。いつまででも待っていた。そしてそれは、彼もおそらく同じだった。

そして考えてしまう。私はなぜもっと、「愛する」ことができないのだろう。自分の衝動が抑えられなくなるほどに。
たとえば自分から「お付き合いしましょう」と彼に言うことは、容易にできる気がした。

いつの日か私も心から愛し愛される人に巡り会うことができるだろうか

でも、だ。

でも、私はそれを自分でしないことを分かっていた。
彼は本当に「申し分のない人」なのに、自分にとってただ「申し分のない人」でしかないのだと、そう自覚するたびに、私は私の「愛せない問題」にぶち当たる。結局いつもそこが問題なのだ。

彼氏彼女の関係になることがそんなに大事なのか、別にいいじゃないか、と言われればそれまでなのだが、今はその微妙な距離感を1年半も続けている最中なわけで、つい先日も、2人きりで海に出かけ、砂浜にレジャーシートを敷いて座り、ただひたすらに海を眺めたのだが、あきれることに、その間にも私は彼を本当に「申し分のない人」だと思った。

そしてそれと同時に、いつの日か私も、心から愛し愛される人に巡り会うことができるだろうかと、果たして「愛せない問題」から抜け出せる日はやってくるのかと、穏やかな海をぼんやりと眺めながら、彼の隣りでただ考えているのだった。