異国の地で真っ直ぐ自分を見つめたあの夏があったから、私は大丈夫

あの夏を越えられる日が来るのか、と思う。
16歳、高校生になりたての私は、誰よりも勇敢で可愛らしいほどに世間知らずだった。
大きなスーツケースを両手に抱えて、1人降り立ったアメリカ。それまでにも何度か訪れたことはあったが、誰かと来たアメリカと、たった1人立っているその土地は全く違う場所のように感じた。
息をするだけでも精一杯で、正体のわからないざわざわが背中を駆け抜けた。携帯もない。英語も喋れない。これから1年、私はどうやってこの土地で生きていくのだろう。
目に写る全てのものが真新しかった。毎分毎秒ぶつかり続ける言葉の壁。「あなたの宗教について教えて」と興味津々なホストファミリー。肌の色の違いについて討論する授業。言語、宗教、人種、アイデンティティー、多様性、文化、伝統、国籍。それまで触れたこともないテーマが私の中に一気に入り込んでくる。
到底理解し切れない内容に、消化不良を起こしては吐き出したくなった。私は今まで日本で何を学んできたのか、それまでの自分に情けなさを感じる。何度も逃げ出したくなっては、ただただそこに居続けることしかできなかった。
半年後、アンドレアという友達ができた。彼女がアメリカでの一番の親友ということになる。アンドレアは、メキシコ生まれの移民で、スペイン語と英語を話す。金色の髪の毛を揺らしながら、長いまつ毛をゆっくり動かして瞬きをする。彼女はいろんな経験をしているせいか、私と同い年のはずが何倍も落ち着いていて、とてもゆっくり時間が流れているような人だった。
日本で生まれ育ち、ずっと日本語のみを話し続けていた私にとって、彼女の存在は正に異邦人。なぜメキシコという故郷がありながらアメリカに移住する必要があったのか、アメリカで生きるメキシコ人として、彼女はどう自分自身を理解しているのか、質問が次々と湧いてきた。そして、彼女はその一つ一つにとても丁寧に答えてくれた。
彼女と知り合ってから、私は消化不良を起こす機会が減った。宗教や人種、国籍といった抱え切れない程に大きなテーマの数々を、自分とは全く違うバックグラウンドを持つアンドレアという対象を通して、ゆっくりと理解していったからだと思う。
彼女を理解することが、アメリカという異国の地で、全く違う価値観を受け入れようともがき苦しむ自分自身を理解することに繋がっていたのだ。
今思い返すと、あの時の私は本当に世間知らずだった。英語も喋れないままに、親元を離れて1人アメリカに行くという決断。世間知らずの16歳だったからこそできた挑戦。どこまでも青く尊い志と共に、真っ直ぐに自分自身を見つめていた。
今はあの頃よりも少し賢くなって、向こう見ずな選択をすることも減ってしまっている。この先、まだまだ様々な分岐点が私を待ち受けているだろう。その時々で、私はあの夏を越えられるような決断をすることができるのだろうか。
昔の自分と比較しては、プレッシャーを感じることも少なくはない。でも、そんな時は思い出したい。あの時の私が選択をして辿り着いた場所に、今の私がいるということを。あの時の私だからこそ成し遂げられたひと夏の挑戦を、これからの私だって越えてゆけるはずだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。