中学生の時、名前しか知らない子に、「もっと優しくて可愛い子だと思った!」と大声で喚かれた。彼女は、全身から被害者意識を滲ませ、私を睨みつける。「あなた目当てに美術部に入ったのに、大嫌い」と、妙に熱い台詞を吐き捨て、隣の友人が呆れた私を横目に吹き出した。

まぁ、随分と期待されたことで。そう言われたみたいで、恥ずかしくなった。

的外れな期待や勝手に理想化され、「裏切れられた」と悪者にされた

的外れな期待や勝手に理想化され、「裏切れられた」と悪者にされることがある。一番記憶に残ったのは彼女だが、なぜあんな勘違いが起こったのか。

それは、幼稚園からの幼馴染が私のいない場で、“良い噂”を広めまわったからだった。幼馴染は、「自分にはすごい友達がいるのよ」と脚色した私のことを言いふらした。小学校が違う彼女とは、もう何年も関りがなかったのに。

そのせいで、中学に入学してから知らない男子生徒に「期待するほど可愛くないね」と言われたことがある。あの子も、幼馴染の言ったことをまんまと信じた訳だ。

美術部の前は、吹奏楽部に所属していた。職員室で「吹奏楽部を辞めたい」と伝えた時、「もっといい子だと思ったのに」と親にクレーム電話が来た。母は笑っていたが、先生は泣きそうだったとか。「あの先生、何もあなたのこと知らないみたいね」と母は呆れたようにそう言った。

高校生の時は、服装検査で呼び出されて、誰よりも怒られた。ほかの生徒は、もっと大きなリボンをしていたのに。「納得いかない」とその頃から、“人に与える印象”について考え始めることになる。

嫌われるか利用されるかで、私は幸せになれないから、媚びを売らない

社会人になれば、「悩みがなさそうね」なんて嫌味を言われ放題だ。少し口答えをすれば、「あなたは態度が悪いのよ!」と叱責を受ける。ほかの人はここまで言われない。私は、恐らく悪い意味でギャップがあるのではないか?

うんざりする。“優しそう”という第一印象が、いけない。煩わしい。“怖そうな人が実は親切で、優しい人だった”とあれば、人は嬉しくなってしまうが、私は真逆なのだ。そして、「騙された」と当たる人が出てくる。

一度だけ、マッチングアプリに登録したことがあったが、「優しそうな雰囲気に惹かれました!」とメッセージを貰い、3時間で消した。

腹が立ったのだ。己の印象を、上手く使いこなせない。欲しくない反応をされることより、内面と外面の不一致で腹を立てている。そんな自分が気に入らない。

もっと、それを利用して、上手く世渡りできる人だっているはずだ。私は違う。不器用で、正直で、全部明け透けだ。

だが、全員が中学の頃のあの子たちではない。一部の人には、「見た目と違うとこが好き」と言ってもらえる。大学生になってやっとだったが、そういう人が少しずつ現れるようになった。

努力をすれば、他人のもつ印象に近づいて、もっと上手く、沢山の人に好かれそうだ。でも、そういう生き方はしない。媚を売りたくないし、それは嫌われるか利用されるかで、少しも幸せになれないことだと思い知った。

私は「世渡りは下手」だけど、はっきり意見を言う私を好きな人もいる

最近は、(表現は良くないが)このギャップで人を選別している認識がある。「好かれるのは少数で良い」と思えてから、反応に困って笑顔を浮かべてしまう癖も減ってきた。以前は面白くないのに、ほほ笑んでその場をやり過ごしていた。

でも、それは面倒な人を引き付けることになると気が付いた。依存したい人や、上に立ちたい人が寄りかかってくる。傍から見れば、優しそうで、拒否しなそうだから。

素を出せば、そういう人からは、「なんか変わっちゃったね」と苦笑される。私は万々歳だ。自分に都合が悪い反応だからって、捨て台詞いうのはダサい。今は、遠回りに否定されても、「そうね!あなたのお眼鏡に適わなかったようね!」と、線引きしようと思えるようになれた。

正直ではっきり意見を出せる自分が好きな人もいる。態度に出すのは、悪いことばかりじゃないはず。だって、嬉しい時もバレバレだから。

世渡りは下手だけど、ゆっくり、なんとか折り合いをつけられるようになってきて、欲を言えば、「君のそういうところが満点」なんて言ってくれる異性が人生に登場すれば良いのにと思う。これからは、「いい意味で裏切られた!」と言われてみたい。