「イライラする」。連絡簿に並ぶ言葉は母に愛されたという幻想を壊した

最近、自分が0歳から3歳の頃の保育園の連絡簿を見つけました。母と私の担当の保育士が毎日やりとりしているものでした。
「毎朝、『佳苗ちゃん可愛い?佳苗ちゃん可愛い?』と聞いてきてうるさくてたまりません。自分のことばっかり」
「滑り台に乗せたら、怖かったようで泣き出してしまいました。パパと二人で唖然。佳苗は本当に怖がり」
「家族全員体調を崩しているのに、一足先に治った佳苗がうるさかったので叱りました。しょんぼりしていましたが、最後は一人で遊べました」
他にも「わがまま」「うるさい」「悲劇のヒロイン」「自分ばっかり」「あー、イライラする」など、書かれていました。
私は26年間、母が自死してからは11年間、幼い頃の記憶がほとんどない中で「母は私を愛していたんだ、だけれども不器用だったから虐待という形で接するしか術がなかったんだ」と思ってきました。
それが全くの幻想であったことが、今になって連絡簿という形で出てきてしまったのです。
足元が崩れ去るような衝撃が私を襲いました。
精神科の薬の量が増えました。朝、夕、夜。こんなにたくさんの薬を飲むのは10代の頃、閉鎖病棟に入院していた以来です。
なるべくの予定をキャンセルして、寝て過ごしてくださいと医師には言われました。でも、もう26歳なのでなるべくの予定をキャンセルすることは社会からの離脱を示します。あぁ、ここまでようやくきたのにな。
ぼーっとした心地の中で、母が亡くなる前後のことを思い出します。
私の頭の中には、常に私を叱り飛ばす人がいて、右側から怒鳴ってくるのです。
「お前はだから何をやってもできない」
「そんな人間死んでしまえばいい」
そんなことを言うのです。私はあまりに怖くて、泣きながらうずくまって、「でも、できないものはできないの!」と心の中で叫びます。私の中には、私を殺したいほど憎んでいる誰かがいて、いつも私に死ぬことを勧めてくるのです。
そのうち、私は私の行動を右斜め上の3カメ(3台目のカメラ)から眺めるようになりました。怒鳴られている時も、人前に立つ時も、私は第三者の視点、頭のちょっと上のカメラからそれを眺めているのです。
自分のことなのに映像で眺めているような不思議な感覚がありました。
母が亡くなり11年、私が精神科に通い始めて11年。その月日はあまりに長すぎました。都合の悪いことを忘れ、思い出を美化するには十分な時間でした。
私は確かに、虐待されていた子供で、精神病を患っており、今でも重い精神障害者です。そのことを、私自身がすっかり忘れていたことに今回の件で気づかされました。
今更気付いたところで何になるのでしょう。
神のみぞ知ることなのかもしれませんが、きっと生きているうちに訪れる試練というのは、何かのためにあるのだと思います。
そうじゃないと、私の人生、帳尻が合わないもの。
これを読んだ方がこんな人もいるんだなと思ったり、私も同じように辛かったんだなと気づけるきっかけになったら、幸いです。
お互い、のんびり生きていきましょうね。
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