セクシャルなものへの自身の関心を、見て見ぬふりをしていた

中学の卒業を迎えても初潮が来ず、周りに比べて自分は成長が遅いのだなと思っていた。16歳でようやく生理が始まったときは、これで大人の女性の身体になったのだなとほっとした、のも束の間、やはりこの出血や蒸れ、においと毎月付き合うのかと思うと、すぐにうんざりした。
紛れもなく自分の体内から出ているのに、どこまでも付きまとう得体の知れない感じ。

成長が遅い、と言えば、思春期的なものの訪れ全般が私は遅かったように思う。
中学に入った頃から同級生の女の子たちは、漫画のセクシャルな描写などについて興味津々に話していた。私もまったく興味がないわけではなかったが、そのような自身の関心を見て見ぬふりしていた。

私にとってセックスとは、小学校の先生が教えてくれた通り、男女が愛し合う想い高じて裸で抱き合うことにより子をなすものであり、その他のものではなかった。
だから、そのような崇高な行為に対して下世話な関心を向けるべきではないと自身を戒めていた。
自分が女であるとか、女として見られるという考えを、徹底して意識から払拭しようとしていた。それらを意識すれば、何らかの固定観念によって自分が測られてしまうようで怖かった。

「女性」として、性的に見られていることに気付いて

女であることを決定的に突き付けられたのは、大学に入ってからだった。
研究会に誘ってくれた教員は飲み会の席で私に性的な冗談を言ったり、好意を口にしたりした。それらは別に嫌ではなかったが、ほんの子どもであるつもりだった自分が、恋愛感情や性的な対象として、あるいは単に「女性」として見られている可能性に気付かされたことは、衝撃的かつ底知れない怖さを伴う経験だった。同時にそれが、「大人の世界」への関心を惹く幻惑的なものだったことは認めざるを得ない。

彼らの見ている「女性」とは何なのか、当初はさっぱりわからなかった。
そのような疑問を抱いていた頃、セクシャリティの研究者からの影響で、性的なものへの自らの関心にも目を向けてみる気になった。その過程で、性的な対象として消費される「女性」への眼差しも徐々に理解するようになった。

また、自らの性器も生まれて初めて観察してみた。内部については、保健や理科の教科書で受精や生理の仕組みを習ったときのイメージがあったが、外部については、実は考えてみたことがなかった。
それで私の自分の性器との出会いは、性的なコンテンツに描かれる名称と実物とを対照させていくような作業の中で果たされた。

別れ話を切り出した。最後に彼が求めたものは…

大人の男性に憧れ、自分の親ほどの年齢の人から女として見られることに憧れた私は、その後、ずいぶん年上の男性と付き合っていた。
彼にとって私は「ヤれる女」でしかないのではないか、という疑いも抱きつつ、私は彼のことを知りたかったし、彼に近づきたかった。とにかく彼との時間を得るため、彼の関心を得ることに必死になった。
そのような歪な関係でありながら、断絶もありつつ6年ほども続いたのは、互いにそれなりの好意があったからなのだろう。

暮れゆく都会を見下ろすバーでマルガリータを飲みながら、私は別れ話を切り出した。あの手この手で食い下がる彼に私も情が湧いて、話はうやむやになった。
我々の付き合いとは何だったのかを長々と話す中で、彼が私に感じる不足を並べ立てたのにも辟易したが、何より、最後にセックスをしたときに、私が生理でタンポンを入れていたことに関して、「審美的にも、ね……あれが最後なんて」と言われたことは悲しかった。
体調不良をおして彼のために応じたセックスだったはずだったのに、そんなことを言われるなんて。

窓の外には一面の黒が広がり、街の灯が無数に煌めいていた。もう席を立とうというときに、彼は声を潜めた。何を言い出すのかと思ったら、私のパンツをトイレで脱いで渡してほしいということだった。
私は内心呆れたが、彼が私を従わせることで何かを取り戻したいのだろうと思ったので、餞別にくれてやることにした。マルガリータのグラスを飲み干すと、塩のしょっぱさが口に残った。

トイレの個室に入り、下着を下ろすと、先日終わったはずの生理の血が僅かについていて、私は目が眩むような嫌悪を覚えた。それと同時に思った。
他人は、ある時は女としての私の身体を愛で、ある時は忌む。そんなことに逐一振りまわされる必要はない。
私は私として、あらゆる価値評価と独立に、この制御不能な身体として世界の一部でありつつ、世界と切り結んでいる。