母に「産まなきゃよかった」と言われた私は「期待しない」を習得した

5年くらい前まで、自分のことが大嫌いだった。
なんでこんなクズみたいな人間が生きているんだ? と思ってて、なんの役にも立たないなら死んじゃえばいいのにって自殺未遂も何回かした。
でも今は、自分のことをそんなに嫌いじゃない。まぁ生きてても許してやるか、一つの命だしな、くらいに思ってる。そうなった経緯を、話してみたいと思う。
まず、私はオギャアと生まれた瞬間から、たいして望まれた子供ではなかった。父さんはほぼ家にいないし、お姉ちゃんは障害児だから母親はそれに付きっきり。二世帯で住んでた祖父母は娘、つまり私の母親を持て余していて、我が家に口を出すことはなかった。
私は幼い頃から、包丁を投げられ、階段から引き摺り下ろされ、家から締め出され、ギャアギャア泣く子供だった。「産まなきゃよかった」「お姉ちゃんを家に戻すから、あんたを北海道の施設に送る」「お姉ちゃんはかわいいのに、お前は全然可愛くない」と言われ続けて育った。
当時『スクール ウォーズ』などのヤンチャ系子供ドラマが流行っていたので、私も「うっせえババア!できるもんならやってみろよ!」と言い返していたが、母が自死してから叔母に「あの時、本当に北海道の寄宿舎の資料を取り寄せてたんだよ~」と言われた時は肝が冷えた。
そんな荒れた私でも、子供なので親からは愛されたかった。勉強を頑張り、山のようにある習い事をこなし、本を溺れるほど読んだが、母曰くどれも「やる気がない」らしかった。私立の中学に合格しても、部活動に励んでも、何をやっても駄目だった。
段々と笑うことと泣くことができなくなり、喋らなくなったり、逆に怒りっぽくなったりした。黙っていれば「文句あるなら言いなさいよ、睨んだって何も解決しないよ」と叱られ、布団にこもれば「あんたはいつもそうやって怠ける!だから何も続かないのよ!」と怒鳴られる。かなりハードな人生だ。
祖父母に「ねぇ、どうしてママはあんなに怒るの?」と聞いたことがある。祖父母はしばらく黙ってから、「ママはビョーキだから、かなちゃんが我慢してあげるんだよ」と言った。
マジかよ、ビョーキなら自分の子供に包丁投げても許されるってか? クレイジージャパン、人生って大変だな、と小学生の頃に悟った。ビョーキなら何してもいいの? ビョーキなら仕方ないから私が我慢しなきゃいけないの? その疑問は、成長するにつれ、うつ病、PTSD、その他諸々の精神疾患を発症した私にブーメランとして返ってきた。
母親みたいにはなりたくない、自分だけが苦しいみたいな顔したくない、私は欲張りだ、あんな風に人に当たり散らす女にはなりたくない! そう頭の中で唱えて、頼れる人も特にいなかったので潰れた。自殺未遂からの入院だ。
その頃、「親みたいになりたくないと思う人は、親のことを考えるあまり近付いてしまう」とネットで読んだ。そうかもなと思ったけど、仕方ないじゃんとも思った。だって私が愛されたかった母親は、私が中三の時に自死した。もう永遠に手に入らないものを想って何が悪いんだろう、だって仕方ないじゃん、私の世界はいつもママと私の二人きりだったのに、置いていかれたんだから。
私のことを「クズだ」と言い、「産まなきゃよかった」と言ったのは母だった。それが覆ることはもうない。なぜなら、母はこの世にいないから。一番欲しい言葉は「かなえが子供でよかった」だけど、もうそれは望めない。
だったらどうすればいいんだろう? 悩んでたくさん傷ついて、色んな人の愛情に支えてもらって、支援を受けて、辿り着いたのは、自分で自分を許してやることだった。生きててもいいよ、仕方ないからと思ってやることだ。
私は、他人には期待していない。人は私とは違う生き物で、母とも違う生き物だ。もし、誰かが私を心底愛して「生きてていいよ」と言ってくれても、それは永遠には続かない不健全な関係だと思う。
人には期待しないの次は、自分にも期待しないを習得したい。幸せになりたいと望むから、なれなくて苦しくなる。毎日ご飯が食えればそれでいいよなと思えれば、生きることはそんなに難しいことじゃなくなる。
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