やりたい仕事を「体調不良」で辞退する虚しさ。うつは甘えですか?

2021年、コロナ禍。2月頃から不安定だった精神の病状が、実家への帰省と休息により少しばかり回復したり、また新たな出来事で悪化したりを何度か繰り返し、気がつけば6月になりました。
今年もなにもせずに半年過ぎたのか……とため息が出ます。
閉鎖病棟への入院は、私にとって特別珍しい回復手段ではありません。10代の頃に7ヶ月、20代になってからは退職と共に2週間。お金もかかるし手続きも面倒なので積極的に選びたい方法ではありませんが、日常生活を送れなくなるともうにっちもさっちもいかなくなるので入院して整えざるを得ないのです。
精神の入院には措置入院と任意入院があり、10代の頃は措置、20代になってからは任意で済んでいます。
命を守るために入院させられるか、医師と相談の上自分で入院したいと伝えるかの違いです。この辺りは専門ではないので詳しくはお調べください。
社会人になってからの入院は、すなわち職を失うことを指します。
休職ができる会社ならいいのですが、私の場合単発の会議や仕事に出られないと続けられない仕事なのでどうにもなりません。閉鎖病棟は通信機器の持ち込みは無論できませんし、そもそも外に出られません。閉鎖なので。
私は昨年から務めている役目が複数あったのですが、そのうちの一つを辞任せざるをえませんでした。出られない機会が増え、籍を置いておくだけよりも早めに他の方に譲るべきだと判断したからです。
やりたくて応募して、選ばれて任せられたはずの仕事を「体調不良」の言葉で辞めるのはなんとも言えない虚しさがあります。ですが、精神病である限り避けられないことでもあります。
病は私の人生設計を考えてはくれません。PTSDの悪化は私の向上心や、仕事への熱意を丸ごと奪いますが、そのタイミングは私にも読めません。
子供の頃はいつか治ると思っていました。今はどう病気と付き合っていくかが1番の課題です。
病気と付き合う、というと自分の体調を把握するとか、ストレス処理の方法を学ぶとかが浮かびがちですが、いわゆるうつ病の対処法が何一つ効かない時もあります。焦りや怖さに支配され、身動きができなくなる時があります。
それは、私が障害者手帳を持つ程度の重たい病状だからなのかは分かりませんが、精神病をコントロールできるというのはある種の幻想だと思っています。
でも、世間よりも何よりも私がそれを信じていないのです。うつは甘え、という言葉が昔盛んに言われました。私は今でも少しだけそう思います。
頑張れば仕事を辞めずに済んだはず、ここさえ乗り切れば入院なんてしなくて済んだはず、その先にあるのが死だと経験則で分かっていても、どうしても精神病である自分を責めずにはいられません。
だから許してくれ、とは言いません。あなたの大切な人が心の疲れを感じていると伝えてくる時、おそらくそれを一番恥じ、心苦しく思い、認められずにいるのはその人本人なのではないかと思うのです。そう思う、ゆとりを持ってほしいのです。
自分勝手でしょうか、そうかもしれません。人の心は複雑ですし、私の思うことが全ての病人に当てはまるわけではありません。ただ一人の例として、誰かの参考になれば幸いです。
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