初めてかがみよかがみにエッセイを投稿し、掲載されたのは昨年の9月だ。それ以降、休んだ時期もあったものの、今は月一本以上を目標に書き続けて、ありがたいことに掲載していただいている。

安定してエッセイを書けるようになったが、最初はかなり迷走していた

私はそれまでブログやSNSなどで発信してきたことはあったものの、自分の体調が悪くなると全てを消したくなってしまうことが多々あり、昔書いたものは今はほとんど残っていない。
25歳になってからそのことがすごくもったいないように思えて、歳を重ねても昔の自分がなにを思っていたかを見返せる媒体に自分の書いたものを載せたいと思うようになった。
それから、かがみよかがみを含めさまざまなエッセイ賞や川柳賞などに応募し、賞をいただいたり新聞に掲載していただいたりしてきた。今では安定してかがみよかがみに投稿するものを書けるようになったが、最初はかなり迷走していた。

まず、人に見られる、人に読まれることを前提に書くというのが大きなプレッシャーだった。ならば尚更背負うものを減らすためにペンネームでも良かったが、実名で書いても恥ずかしくないものを書きたいと思って本名で載せることを決めていたから、その分誰に見られても誰も傷つけないで済む文章を心がけなければならなくて、エッセイのオチやエピソードの選出に頭を悩ませた。

ずれや不安を抱えている人たちに、なにかヒントになるものを書きたい

私の書くジャンルはお世辞にも穏やかとは言いがたく、過去の辛い経験や、人とのすれ違いがテーマなことが多い。
個人的にはもう昇華できたから振り返るように書いているのだが、読み手はそうは受け取らないらしく、書き始めて周囲にシェアし始めた頃は「辛かったんですね」とコメントをいただくことが多く困惑も大きかった。
私は、「誰かのせいで私が辛かった」と書きたいわけではなく、「自分がどのように振舞っても誰かに辛い思いをさせてしまうのが人生というものだ」と書きたかったが、なかなかその真意に辿り着く文章が書けなかった。
確かに私は人よりも大変な経験を重ねているけれど、それを恨んだり誰かを羨んだりすることはあまりしたくない。ないのではなく、したくないのだ。虚しいから。
それに、エッセイサイトのメインユーザーである20代女性には多かれ少なかれ同じように社会とのずれや将来への不安を抱えている人がいると思ったから、その人たちのなにかヒントになるものを書きたかった。経験は違ってもそこから得られる解決の手段や、受け流す方法は大抵同じだと思ったからだ。
だけれど私には技量がなく、それを本当に納得した形で仕上げられるようになったと感じるのはごく最近の話だ。

エッセイを書くことは、自分の記憶や感情の整理ができるデトックス

エッセイを書くということが、だんだん自分の記憶や感情の整理のための一つのツールになってきてから、私の書くものや書き方は大きく変化した。
その時感じたごちゃごちゃした絡まりを解いていくように書く、オチは綺麗でなくてもいいし、万人の参考になるものでなくてもいい、そう思えるようになってから書くのがどんどん楽しくなったし、楽になった。
書いた後、これが私の思っていたことなんだと新発見できて、ならば次はこうしよう、と考え方を変えるきっかけにもなるようになった。
書くということが何かを生み出すことではなく、自分のデトックスとしての一つの手段になってから、すごくポジティブにエッセイを仕上げることができている気がする。
書くのが楽しい、その境地までたどり着けたことが、とても嬉しいと感じる。