「趣味や特技はなんですか」
この言葉をわたしたちは人生で何度聞くことだろう。
学校で、就活で、転職で、はたまた婚活で。
「他愛もない会話」として現れるこの言葉は、軽やかに見せかけた凶器だ。

趣味・特技の欄で止まるペン。何度ため息をついたことだろう

友達や親しい人の会話ならなんてこともないはずのこの言葉に焦るようになったのは、就活を意識しだした、大学2年生の頃だった。
就活の右も左もわからず、趣味の欄に「ロックバンドのライブを見る、海外旅行」と書いた。
それをみたリクルーターが、
「これは話の種にもならない、悪い例」
とため息を付いたのだった。
自分を知らない人間の言葉だったが、その否定にはこれまでの時間が無駄だったと言われた気がして苦しかった。
また、周りの友達は幼少期から続けたバレエなどのスポーツやギターなど固有名詞としての特技・趣味があることに驚きと焦りを感じて、とうとう私も自分自身を否定するようになった。

求められた趣味・特技という個性。それに応えられない自分。
履歴書の上で止まるペン先をみつめて、何度ため息をついたことだろう。
そこからは就活のための趣味・特技づくりのためにインターンやボランティアなどに参加しまくり、いわゆる「就活っぽいアピールポイント」を詰め込んで中身のない上辺だけの趣味を作った。

優れた趣味が見つけられず退職。ライブや海外旅行へ出かけた

ただ、この趣味・特技はこの後も私の人生について回った。
就活を乗り越えて社会人になり、営業職についたときは最もこの言葉が頻発。
取引先の「一発芸を」「特技を」に対して、「趣味」でギターやゴルフと答える他の営業が羨ましくて仕方がなかった。

この言葉はより多くの恐怖と劣等感を私に植え付け、数年後わたしは退職した。
趣味・特技は人より優れているものでないといけない。話の種になるような趣味を……。
リクルーターの言葉が今も呪文のように響く。

退職後はライブを見に行ったり海外旅行をしたりした。
自分が求めていたのは、「非日常の世界」だったんだと感じた。
そこで出会う人や、熱気が趣味・特技の枠に入らないほど、わたしの大切なことだったと気づけた。
そこであったことを記録に残そうと、ポツポツと文章を書き始め、思い出にひたるのもおそらくまた「話の種にならない趣味」だろう。

自分が楽しくいられて、輝くための趣味を探し続ける

私の趣味・特技探しは今も続いている。そして新型コロナウイルスが流行。
またたく間に話の種にならないと言われた海外旅行やライブを見に行く機会が失われ、私の趣味は消えゆくものになった。
ライブで出会う人との交流は減り、次第に孤独が深まるのを感じた。SNSにはソロキャンプや、ギター投稿が溢れ、投稿者は生き生きと輝く。
その人達を見て、「ああやっぱり趣味は合ったほうがいい」と強く思う。
ただ不思議と彼らの投稿には妬ましさを感じなくなったのは、私が年をとったからだろうか。

「これは話の種にもならない、悪い例」という呪文が、10年程たち、雪解けしようとしている。
もう少したったら、ライブだって、海外旅行だって行き続けよう。
誰よりも優れていなくたって、アピールにならなくたって、自分が楽しくいられるために。より輝くために、また趣味探しを続けよう。

「趣味や特技はなんですか」
この質問がマイルドに受け止められるように、私もギターを始めてみようかな。