特集:エッセイを書いたあと

私の心がポキっと折れた。真っ暗闇のなか、文章の世界で自分の心を開いた

エッセイを書いたあと

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私がエッセイを書く理由。
なんだろう、と考えてみる。もともと、エッセイを読むことが好きだった。私がエッセイを書くことに興味を持ったのは、そこから始まっているように思う。どうしてエッセイを読むことが好きなのか。
エッセイについて、振り返りながら言葉にしてみたいと思う。

いろんな人のいろんな生き方や物語に出会える。それがエッセイの魅力

エッセイは、自由だ。
その人の言葉の選び方ひとつで、考え方や心の奥にしまっていた気持ちたちを、感じとることができる。

エッセイを読むことは、人の話を聞いているときに似ている。
文字の羅列から生み出される、その人の、独り言。
会ったこともない、どこに住んでいるのかも分からない人の、独り言。
そうだったんだ、とか、そういう生き方もあるのねカッコイイ、って、その人のそばに寄り添える気がするのだ。

それがエッセイの魅力だと、私は思う。
いろんな人の、いろんな生き方や物語に出会えること。
感じたこと、考えたことに触れられる。だからエッセイって、とっても面白い。そう思うのだ。

突然に私の心はポキっと折れた。文章の世界にだけ、自分の心を開いた

私は以前、ポキっと、突然に心が折れたことがあった。
人と会話したくない、会いたくない、人の記憶から自分を消し去ってしまいたい、そう感じる時期があった。

だれも信じることができない、会話がうまくできなくなった私は、真っ暗闇のなかに一人でひたすら立っているような気持ちだった。寂しかった。でも、それでよかった。人を遮断していたのは、自分自身だった。

そんな真っ暗闇のなか、唯一私が選んだことは、文章を読むことだった。
小説やエッセイなど、文章の世界にだけ、自分の心を開いた。物語をただ聞いているような気持ちで、返答することも相槌もいらない、文章の世界にひたすら身を置いた。むさぼるように読んだ。

そしたら自分のなかに、少しずつ感情が戻ってくるような感覚があり、悲しいとか、嬉しいとか、当たり前にすぐそこにあったはずの、でも忘れていた感情たちが、ふわっと蘇ってきた。

そうした感情たちを綴るようになった。
声に出すことができずに飲み込んだ感情たちが、言葉になって、目に見えるかたちでそこに現れれば、その分、私の心は軽くなった。

文章のなかでは、だれもが自由。文章の世界の扉だけは閉じないで

自分がエッセイを書くときは、だれかに話を聞いてもらうような感覚で、自分の飾らない、本当の気持ちを、綴っているように思う。

ひとつひとつ、自分と対話しながら。あのね、って話し出すような気持ちで。それを自分のなかに取り入れるも入れないも読む側の自由で、だから、エッセイには表現することの自由がどこまでも広がっている。
だれにでも、扉は開いている。そう思うのだ。

もし、人と話したくない、会いたくない、そんな無力感のなかでどうしようもなく立ちすくんでいる人がいたなら、声を出さなくてもいいから、無理に人と会って笑顔をつくらなくてもいいから、文章の世界の扉だけは閉じないでほしい。

自分の感情たちが正常に機能するようになるまで、戻ってくるまで気長に待ちながら、ただ、小説やエッセイのなかに自分がいれば、あるいは自分が好きだと思えるもののなかに自分がいれば、それでいいと思う。

文章のなかでは、だれもが自由だ。
そう感じるから、私はエッセイを書く。自分の声を、今日もこうして、言葉にする。

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