真っ赤に染まったTシャツ。血の匂い。朝の光が店の中にも斜めに差し込んでいた。
映画の中のワンシーンのように嘘くさい光景だった。
私が彼と言い争った理由は、冷静になった今、振り返ってもわからない。気が付いたら額から血が流れていて、痛がりもしない私に彼は少しでも驚いたのだろうか。
あの日の記憶は、店に充満する血の匂いと虚しさ、彼に対する曖昧な気持ちで塗り替えられてしまった。

真っ赤に染まったTシャツが馬鹿げたアートのようで美しく心が震える

額から流れた血で真っ赤に染まったTシャツが、馬鹿げたアートのようだった。真っ白のカンバスをただ新鮮な赤色で塗り尽くしたような美しさに心が震える。
彼は流れ続ける血を必死に止めようと、大量のティッシュを手に持ち、額に押さえつけながら真っ直ぐに私を見つめ続けた。怯えているようにも、何も考えていないようにも見える。
手からサンダルを履いた足の先まで血まみれになって、アドレナリンが出ている私だけが泣きながらとても元気だった。
「私から血も涙も出ると思わなかったんでしょ」と叫んで、威勢の良さだけは血が流れていても変わらないのかと自分で自分に呆れた。ここぞとばかりにセリフのような言葉が口をついて、「もう君がどうしたいのかわからないんだよ」と静かに言葉を紡ぐ彼をなぶりたくてしょうがなくなっていた。

無理やり剝いだTシャツから彼の匂いがし、私の元に戻ってきた気分

「このTシャツを着ていては外には出られないから」と、無理やり彼が着ていたTシャツを剥いで自分に着させたら、今度は彼の匂いがして、私は彼の匂いに包まれたことに嬉しくなった。香水とタバコが混じった匂いだった。
そのまま彼のTシャツを家に持ち帰って他の服に着替えたが、あの後私は何度彼の匂いを嗅ぎ直したのだろう。もう用が済んだ彼のTシャツを3日も4日も洗わずに、ハンガーにかけて大切にした。そしたら私の部屋が彼の匂いで満たされた気がして、彼が私の元に戻ってきたと思った。
このまま脳内にも血が流れて充満し、そして死ねるだろうか。彼の匂いに包まれた幸せな日々に頭がおかしくなって、それを俯瞰している自分さえも好きになれた。
結局、彼のTシャツはきちんと洗って返した。物干し竿の隣でタバコを吸ったから、今度は彼のTシャツに、私の匂いとタバコの匂いが染み付いた。
彼はそのTシャツを着ることなく捨てたのだろうか。私の匂いに包まれて、たった1日だけでも私との思い出にもがき苦しめばいいのに。

あの日できた傷跡だけが、彼と私が一時を過ごした証となって額に残る

怖いと言われても、気持ち悪いと言われても、私は彼に恋をしただけだった。執着をして、すがりついて、そしてこれ以上水を吸わないボロ雑巾のようになって、幸せな日々を過ごした。もっともっと頭がおかしくなって死ねばいいと思っていた。
タバコを吸いながらあの日を思い出すと、手についたタバコ臭さが彼と同じ気がする。でもやっぱりそこには私の匂いが混ざっていて、ああ彼の匂いをまとうことはもう二度とできないんだと、私は私なんだと、自分のことが嫌いになった。

あの日できた傷跡だけが、彼と私が一時を過ごした証となって額に残る。