「夢を実現するためにしてきたこと、全部が努力だった」
その人は、とあるインタビューでそう答えた。
何気ない一文かもしれないが、衝撃的で、ショックさえも覚えた。
堂々と「努力をした」と答える一流アイドルと、何者でもない私を比べた時にあまりにもギャップがあったからだ。

ゆっくり着実にハマっていき、曲を知り、見るたびトリコに

私とその人との出会いは、よく覚えていない。
私は、その事務所の他のアイドルのファンだったために、新グループはもちろん練習生の情報まで、黙っていても入ってくる。
だから、もちろんデビューした時も見届けているし、練習生だった頃も知っている。その時は、親のような目線を送り応援していた。
どうして、こんなにもハマってしまったのか。それは簡単だ。
2020年、家にいることが多く、YouTubeを見たり、音楽を聴いたり、SNSを開くことがいつも以上に増えた。
そこで、本格的にその人に出会ってしまった。
そう、新型コロナウイルスが私の全てを狂わせたのだ。

ハマる時もゆっくりとゆっくりと、でも着実にハマっていった。
新しい曲をリリースすると、リード曲は耳に入ってくる。でも、いわゆる「B面」の曲は、そのアイドルのファン、もしくは音楽のファンじゃないと耳にしないことが多い。
たくさんのB面を聴いた時に「こんなにもいい曲があったんだ」そして、たくさんのパフォーマンスを見た時に「こんなにも私の感動心を煽ってくるパフォーマンスがあるんだ」と、トリコになっていった。
音楽とパフォーマンスが自分の脳にヒットすると、その人の人となりが気になってくる。
バラエティやYouTubeコンテンツを見てみると「こんなにも可愛くて、面白くて、私をくすぐってくるのか!!」と、これもまた「ハマる」原因、そして「沼る」原因となっていった。

推しの「努力した」という言葉は、脳内お花畑の私を一気に現実へ戻した

そこで冒頭のインタビューに戻る。
脳内お花畑の私が、いきなり現実に戻された瞬間だった。
私は自分のことを頑張っているかもしれないし、努力をしているかもしれないという言い方はできるけど、はっきりと「努力をした」と言えるかと自問した時に、首を縦に振れなかった。
そして、そのアイドルの裏側を考えた時に、寝る間を惜しんでレッスンをしたり、アイドルであるが故にたくさんの我慢をしているかもしれないし、苦しくて涙を流しているかもしれないし、胃が煮えくりかえる程の悔しい思いをしているかもしれないし、ともにデビューを目指した練習生とのお別れがあっただろうし、逆に自分より後輩の練習生のデビューを見送ったことだってあったかもしれない。
そういう全ての経験と努力があった上で、ステージの上、カメラの前、画面の反対側、イヤホンの向こう側では、堂々と、時に可愛く、時にかっこよくパフォーマンスをし、綺麗な歌声を聴かせてくれ、ニコニコと笑顔を見せてくれる。
血も涙もないようなことを言うが、それら全て虚像なのかもしれないという可能性があることをすっかり忘れていた。
運営側が何かのコンテンツで、そういう舞台裏を流してくれることはあっても、本人たちはしっかりと虚像で私を楽しませてくれるのだ。
私は、その虚像をしっかりと消費してしまっているのだ。
自分に対して矛盾を感じるし、その虚像を応援し、消費していることに申し訳なさを感じたりもする。

これは私の「信じる力」の戦いで、表の推しを「虚像」と思うのは失礼

その反面、思うこともある。これは、推しに対する私の「信じる力」の戦いなのだ。
公式で出された大きなスキャンダルもないし、スタッフさんや実際に推しに会ったことのある人たちからのエピソードを聞いても、良いことしか聞かないし、デビューした頃からの成長ぶりを見ると「自信がついてくるとは、こういうことを言うんだ」と誇らしく思うし、インタビューはもちろん、有料コンテンツで発してくれるその人の言葉からは、「この人を応援して良かった」と思わせる力がある。
その人がステージから降りた後の裏側もこのままの人なんだろうなと思わざるを得ない。
逆に言うと、表に出ている時の推しを「虚像」だと言ってしまうことが、失礼にあたるくらいなのだ。

私は人を疑うことが多い。
でも、「魅せてきているもの」「発しているもの」が全て、ファンはファンで推しは推し、それ以上でもそれ以下でもない、ということを今一度頭に叩き込み、
「推しに恥じない生き方を」をモットーに、今日も今日とて、いつかあるオフラインのイベントを楽しみに生きていく。