「働きたくない」
これが就活生時代の、わたしの捨て台詞。

着たくもないリクルートスーツに身を包み、したくもない就活用のベージュメイクをする。
髪は就活に合わせて、黒く染めた。
ひとつにきつく結んだ髪からおくれ毛がでないようスプレーをかけ、前髪も目と眉毛がしっかりと見えるようにサイドに流して留める。

会場に行くと、同い年の女性がみんな自分と同じ身なりをしている。
人生で初めて、こんなにも自分と似通った人たちを見た気がする。
同じ制服を着た高校生の集団でさえ、数倍は個性がある気がしていた。

見た目は均一であることが求められるのに、面接ではどうやら差別化が大事らしい。
他者とは違う、自分らしさ。
自分だけの経験。

「ありきたりなこと」は「つまらない」と言われ、「みんなが経験するような体験談」は「印象に残らない」と言われる。
隣で「すごい経験」を語る人がいると、自分のつまらなさと、行動力のなさに毎回絶望した。

夢や目標はなかったけれど、みんながするからわたしも就活をした

わたしは就活が、大の苦手だった。
だってまず、どうしても入りたい企業なんてないし、どうしても就きたい仕事なんてなし、
どうしても叶えたい夢や目標なんてなかった。
「社会貢献したい!!!」という熱い想いもなかったし、そもそも赤の他人の役に立ちたいと強く思ったこともないかもしれない。

それでも就活をしたのは、単にそれが「普通」だったからだ。
「普通」のコース。

みんなが当たり前のように就活をするので、わたしも当たり前のように就活をした。
就活をすることに特に疑問は抱かなかった。
むしろ自分の周りで、「違う」コースに進む人はいなかった。
しかし、どれだけ自己分析をしても、適職診断を受けても、これといってピンとくる企業はなかった。

面接では必ず志望理由が聞かれるが、わたしは具体的に答えることがいつもできなかった。
だって、どうしてもその会社じゃなきゃいけない理由なんてない。
逆になぜみんなすらすらと答えられるのか、不思議なくらいだった。
ふわふわとした抽象的な回答では、当然落とされる。

「自己分析が不十分」「うちの会社じゃなくてもよくない?」と、何度も言われた。
その度に自分自身を否定されているようで、「お前なんていらないよ」と言われているようで、深く傷ついた。

就活を通して「自分は全く大したことのない人間だ」という気づきを得た

インターン選考で1つ内定を得たわたしは、周りが就活を終了していくのに合わせて、就活を辞めた。
「諦めた」に近いかもしれない。
内定を貰った企業にどうしても入社したい訳ではなかったが、これ以上就活を続けるのが辛かった。

わたしが就活を通して得たものは、「自分は全く大したことのない人間だ」という気づきと、「社会不適合者」という自覚のみだった。
結局、新卒で入社した企業は1年で辞めた。

日本の新卒採用は、1年に1回しかチャンスがない。
それが余計にプレッシャーだった。
ここで決めなければ、もう後がない。

どんどん追いつめられるから、妥協が当たり前になってしまう。
日本では就活浪人は、嫌厭される。
人と違う道は、いばらの道を意味する。
世の中には、企業勤め以外の道もたくさんあるはずなのに、「普通」から外れることに21,22歳の自分は勇気が持てなかった。

「人格」で合否が決まる日本の就活。平凡でも大丈夫、わたしは特別だ

日本の就活は、世界的に見たら特殊らしい。
海外のように能力主義で採用はされない。
みんな働いた経験や実績がないから、「人格」で合否が決まる。
紛れもない「自分自身」を売りにして、「良い人かどうか」「頑張ってくれる人かどうか」で選ばれる。

だから不合格を貰うと、自分がダメ人間の烙印を押されたように感じる。
平凡な人にとって、就活は辛い。

もっと多様性が広がって、色々な働き方や採用方法ができればいいのにと思うが、私が生きているうちに「日本の就活」が変わることはないだろう。
だから毎年春になると、リクルートスーツに身を包んだ就活生を見るだけで、胸がぎゅっと締め付けられる。
辛かったあの頃の自分を思い出すから。

就活生だった自分をそっと抱きしめて、「お前は特別だから大丈夫」と言ってあげたくなる。
平凡でも、わたしはわたししかいなくて、特別だ。
わたしの人生は何も間違っていないよ、と。