私は時には泊まり込みで研究し、時には徹夜で課題に取り組む、限界大学生予備軍だ。
帰り道に花屋に寄り、帰宅後お気に入りの花瓶に生けて微笑むなんてことができるタイプの人類ではない。プロフィールに紅茶とパンが好きなどと書いて、白に統一された投稿をするSNSアカウントももちろん持ってない。

私にとって旅とは、“ゆとりのある暮らしをする人のコスプレ”

元の性格も相まってズボラな生活を送る私だが、たまに旅をすることで丁寧な生活を疑似体験している。私にとって旅とは、“ゆとりのある暮らしをする人のコスプレ”なのだ。

今日は休日にしては少しだけ、早起きをした。お気に入りのプリーツスカートを履き、ニットから金魚柄のシャツを覗かせる。そして、特別な日にしか使わないと決めている貰い物のコスメで顔を彩った。
余裕ある大人の着ぐるみは完成だ。

家を出ると、私の首元にいる水色の金魚たちが今にも空を泳ぎだしそうな快晴である。
まずは個人経営の小さな本屋へ向かう。知らない駅、知らない道、知らない人。何もかも知らない場所では、五感がいつもより冴える気がする。エンジンの音、鳥のさえずり、冬の柔らかな陽だまり、どこを切り取っても素敵なワンシーン。
普段私が知る場所でもあるはずのものが鮮明になって私を包むのは、きっとコスプレをしているから。キャラクターのコスプレをする人の周りにはカメラマンたちが集まるものだが、ゆとりある大人のコスプレをすると素敵空気が群がるのだ。

本を買い、美術館でエネルギーをもらい、大人用お子様ランチを食す

本屋では、ここでしか売っていない自費出版の本を厳選して3冊購入した。近くのカフェで軽い昼食を取り、先程の戦利品を眺める。
素敵だ、ため息が出る。勝手な想像でしかないけれど、装丁、構成、言葉、どれも大切にされてきたのが伝わってくる。私もいつか自己満足大爆発ブックを生成したいだなんて夢を膨らませた。

次は美術館だ。普段は科学館に行くことの方が多いが、今日は芸術に触れると決めていた。同じ地球に生きているはずなのに、芸術家とは世界の見え方が違うのか、はたまた表現力が無限大に収束しているのか。数々の作品を見ていると、人の脳の数だけ世界があるのだと改めて感じることができる。
美術館はエネルギーをもらえる場所だ。今日は軽く1万ジュールは摂取した気がする。

夕方には友人と合流して大人用のお子様ランチを食べた。オムライスやハンバーグ、ナポリタンにエビフライがつまった宝箱を大学生2人が食らいつく。
友人と私は小さい頃、お子様が好みそうなこれらの食べ物がどれも苦手で、キッズプレートの類を楽しめたことがなかった。お互いなんでも美味しいと感じるようになった今、あの頃楽しめなかった分を取り返すかのように真剣に食した。

家に帰るまでがコスプレ。足早に帰宅するところを影と遊びながら進む

友人と別れた後、私は1人ではなかった。夜の帰り道は案外賑やかなものである。私の足元に、何人もの影が集結するのだ。昼間のデートも悪くないが、大勢でワイワイするのも心弾む。
車のライト出身のテルアキさんは、来たと思えば直ぐにどこかへ行ってしまう。街灯出身の光源氏達は前から後ろからと耐えずに踊っている。コンビニの明かり出身のローさんは、優しくしばらく寄り添ってくれる。
いつもは足早に帰宅するところだが、今日は皆と遊びながら進む。家に帰るまでがコスプレだから。

旅は、課題やバイト、家事などから解放され、非日常を味わうことができる。生き物を世話するゆとりを持ち合わせていない日々では、枯れた花しか愛せないかもしれない。色褪せた花には色褪せた花だけの良さがあるが、たまには今を生きる自分を甘やかしてみるのもいいものだ。
旅という名の“ゆとりのある暮らしをする人のコスプレ”をすることで日々の生活は変わらなくとも、心にゆとりはできる。また旅人「コスプレイヤー」になることを励みに、明日からも頑張れそうだ。