暇さえあれば最近、片づけをしている。
自分の部屋から携帯の中まで。本棚、机の上、デスクトップ乱雑に散らかったフォルダに使いこなせていないSNSのアカウント。いるもの、いらないもの。売れるもの、売れないもの。使っているもの、もう使えないもの。知っている人、誰かわからない人。
暖房の切れた冷え冷えとした部屋のなかで、ただただ手を動かす。

2021年、SNSと上手く付き合いたい、と宣言した私は見事に敗北

出かけなければならない用事がない限り、日がな1日中部屋に引きこもるようになってはや2年。自分の好きなことがすっかりわからなくなってしまった。
どんな人が好きで、どんな音楽が好き。こんな趣味を持っていて、あんな特技がある。
もし今もう一度就職活動をしないといけなくなったら、きっと私のプロフィール欄は真っ白でとても綺麗だろう。自分の好きなことも、自分を大切にする方法もすっかり忘れてしまった。自分のことがびっくりするくらい何もわからない。

他の人に振り回されてばかりの1年だったと思う。
同期がいない私は、相談できる相手のいない職場で今日も今日とて気分屋の上司の言葉に凹み、プライベートでは画面越しにいるキラキラした友人知人と自分を比べ凹み、同世代の芸能人やインフルエンサーと自分を比べて律儀に凹む。
2021年、SNSと上手く付き合ってみたい、と宣言していた私は見事にSNSに敗北し続けた。見なければいいのに見て、落ち込んで、独り相撲を取り続けている。

ふと何気なく手に取った本がきちんと面白くて、片付けを始めた

体重は増えたし、眠れなくなった。友達との付き合い方もわからなくなったし、自分が何を好きなのかもわからない。何か新しいことを始めてみようと思っても、失敗することが無性に怖くなった。
ずっとこのままなのだろうかという危機感と、何かやってみてうまくいかなかったらという恐怖感。

片付けを始めたのは、たぶん久しぶりに読んだ本が面白かったから。ふと何気なく手に取った本がきちんと面白かったのだ。自然と隣の本にも手が伸びると、自分の中の思わぬ変化に気づくきっかけになった。
本棚というものは何となく人となりをあらわす気がして、本を手放すのはまるで自分の一部を切り離すようで。今まで部屋を整理してきたときも余り深く向き合ってこなかったけれど、年齢を重ねたせいだろうか。自分の中で大切なままの本と、そうは思えなくなってしまった本があった。きっと考え方がや価値観の変化のせいだろう。
好き、嫌い、いまいち。なんだか新鮮な驚きだった。止まっていたようで、ちゃんと私は変化し続けているのだ。

好き、嫌い、ふつう。一つ一つ丁寧に分けて、自分の感情を整理する

だから自分を見つめなおすために片付けをすることにした。好き、嫌い、ふつう。一つ一つ丁寧に分けて、自分の感情を整理する。
いざやろうと思うと、整理しなきゃいけないものが多すぎてびっくりしてしまう。部屋には物が溢れていて、スマートフォンの中には、いくつもあるSNSのアカウントやいつ登録したかわからないサービスのIDとパスワードが溢れている。友達欄には本名を書かないどこで会った人かわからない友人が並んでいて、ブロックするべきか問い合わせるべきか思わず悩む。
物理的なものは片付ければ視覚的にものが減っていくからまだ変化が見えていいけれど、SNSやWEBサービスが当たり前になったインターネット社会、スマートフォンの中にはその場その場で登録する必要のあるものが多すぎるがために増えていく、アカウントやらなんやら整理しないといけないものがあまりにも多すぎる。

さて、この片付けは2021年以内に終えることを予定している。
これが終わっている頃、私は何かを見つけられているだろうか。
何が好きで、何が嫌い。何はどちらでもない。
2022年、私は私を取り戻したい。