「私やろうか?」ヒロインが降板した日、友人に無意識に頼っていた私

「ヒロイン、やってくれませんか……??」
文化祭を間近に控えた頃、私は友人に頭を下げていた。間近というのだから、2カ月を切っていたのかもしれない。
相手は付き合いの古い演劇部の友人。私はなぜこんな直前に頭を下げて無茶なお願いをしているのか。急遽ヒロインが降板したのだ。
正直、その日までは順調だと思っていた。
数か月後に本番が迫っていた文化祭、中学生には一大イベントである。私はといえば脚本と演出を担当する自主製作の芝居が控えていた。
みんな違う部活に所属していたキャスト。その日も数少ないお互いの部活のない日を使って、練習をする予定だった。しかし、いつもと雰囲気が違う。「練習しよう」といってもコソコソ話している一部のキャスト。空気はあまりよくなかった。「何かあった?」と聞いても答えてくれない。
結局その日は練習にならなくて、次の日同じクラスだったこそこそしていた子の一人に聞いても教えてくれない。
どうしたのだろうか。不安に思っていると、放課後キャストのクラスメイトに呼び出された。
気がつくと広い校内の中のわざわざ狭いところ、人の通らない死角の隅で私は、4人ほどの同級生に囲まれていた。4という数字はたいして多くはないけれど、彼女たちの目線が、圧が、酷く怖かった。
端的に言えば、ヒロインの子が降板したいということだった。
私にも原因は大いにあった。まだそのとき脚本が完成していなかったのだ。
本番も見えてきているのに、そんな舞台に出ることが出来ない。そしてどうするのだ、ということだった。そしてヒロインのいない芝居なんてどうするのだ、というのだ。
やめるといったあなたが、「どうするのか」というのか。キャスト、元キャスト、スタッフが高圧的に、淡々と、控えめに、多様に「どうするのか」という言葉を投げかけてくる。
大げさかもしれないけれど、あの時友人たちに壁際に詰められ、詰問されるさまはまるで尋問のようで。責められて、詰められて、混乱して、しんどくて。
だけどそんな頭と心をよそに、どこか片隅で「わぁ、これ軽いリンチなんじゃない」なんて呑気に考えていた記憶がある。無性に、息がし辛かったことだけを覚えている。
「ヒロインがいないのにどうするんだ」
「じゃあ決まった会場はどうするの」
堂々巡りの議論の結論は、私がヒロインを探してくることで収まった。
さあ、どうすればいい。今思えば、お蔵入りにしてしまえばよかったのだ。先生に言って、取りやめてもらえばよかったのだけれど、そんなことさえわからなかった。
どうすればいいのか。ヒロインを探して、すぐにでも脚本を書きあげて、練習をしなければならない。誰を頼っていいのかわからなかった。
弱音を吐くのも相談するのも私は苦手だった。だからたぶんその日、私が弱音を吐くことが出来たのは相手が毎日一緒に学校に通う、幼いころからの友人だったからだと思う。演劇部に所属していて、尚且つ付き合いの古い信用できる人。
自分じゃ抱え込み切れなくて、自分が原因でもあるから、正直情けなくて恥ずかしかったけれど、気が付いたら彼女に一連の経緯を話していた。
すると話を聞いた友人が一言、「私やろうか?」。
何を言われたのか分からなかった。「え?」と私が言うと、「困ってるんでしょ?」となんでもないように彼女は言い、「凄い顔してるよ」と私を見て笑う。
ずるいやつだと思う。わからないフリをして、私は人の頼り方を知っていたのだ。断られるのが怖くて、彼女を頼るという選択肢を無意識になくして、だけど弱音を吐くことで、無意識に、だけど痛切に私は彼女に頼っていた。
「ヒロイン、やってくれる?」
次はもう少し、素直に人を頼りたい。
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