見た目とは、一番わかりやすい評価の対象だ。
きれいな人は優遇されていた。かわいい人はちやほやされていた。
そんな世界をいやというほど見て生きてきた。

学生時代の小さい社会は、「容姿」で決まる残酷なものだった

学生時代は、小さな社会の中で露骨に容姿の差が、人間の価値をも決めてしまうほど残酷なものであった。目の前で起こる不条理な世界に嫌というほど悲しい思いをし、自分の見た目から目を背けていた。
不思議なことに、大勢の人がほめ、優遇している部分を耳にすればするほど、顔の一部でしかないものが、大きく壮大なコンプレックスになっていった。
私にとってそれは、細くて白目が多い目だった。この目がずっと好きになれなかった。

当時は、化粧もできずありのまま勝負する中でのコンプレックスは、嫌というほど周りの評価対象にさらされた。「睨んでいる」「興味がなさそう」「ねむそう」そんな言葉をただ羅列されては、結局かわいくないと言われ笑われる。そのたび、一重を恨み、その呪縛は私の心を少しずつ支配していった。

アイプチにカラコンと二重にする努力を重ねたが、私の心は悲しかった

初めて覚えた化粧では、二重にする努力から始まり、いかにして目を大きく見せるかに全精力を使った。慣れないアイプチにカラコン……別人になりつつある顔を見ては、呪文のように「目が大きくなった、これで皆と同じようにかわいくなれるはず……」と言い聞かせていた。
化粧も回数を重ねていくと少しずつ自分の顔になじみ、あこがれていた顔に近づいていくような気がした。
しかし、いくら目を大きくしたところで、心の中はむなしさでいっぱいだった。
どうして、ありのままを受け入れてもらえないのだろうか。
悲しさは、年齢とともにやはり重く深くなっていった。

結局は、私自身が受け入れていないのだと。化粧をすることでもう一人の自分を作り出し、心さえも奪われていくような感覚になる。
そして、洗面所で落とした先の鏡に映る姿を見てため息をつき、落胆する。そんな生活がこれから先いつまで続くのか。
若かった瞼も年齢とともにしわとたるみが刻まれ、受け入れていくことができずにいた。

クラブで出会った名前も知らない誰かの一言で、自分の魅力を知った

しかし、運命は突如として方向性を変える。いつものように憧れの姿に変身し、身も心も別人のような気持ちでクラブに出かけた。
そこで一人の男性が私に声をかけてきた。
「どうしてアイプチをしているの?」
私は、斬新なナンパなのかと思い無視をする。すると、もう一度「右のアイプチが取れかかっているよ。でも、すごく素敵な目をしているね」と言われた。
人生で初めて言われた言葉。見ず知らずの人の一言が、まっすぐ心に刺さっていく。
別れ際に彼は「人それぞれ目の形が違う。気にしている子は多いけど、一重でも二重でもそれぞれ魅力があるから気にする必要なんてないよ」そう言い残して去っていった。
それ以降、彼と会うことはなかった。
初めて会った人の言葉に救われたなんて、おかしな話かもしれない。しかし、私はずっと言ってほしかった言葉を目を見て、初めて伝えられた。

それ以降、アイプチもカラコンもしていない。一重が常にコンプレックスで、ネットでいいことばかりを探していた時期もあった。今はそんなことをしなくてもありのままを受け入れている。
周りの評価を気にして合わせていた時よりも、心は軽くいろいろな発見ができるようになった。今でこそ、一重だろうと二重だろうとなにも言われることは少なくなったが、私の時代は些細なことでも生きづらさを感じてしまう環境だった。
あの時彼に出会っていなければ、今も自分が誰なのかもわからずにいたのかもしれない。
万人受けを狙うことよりも、自分自身を受け入れて表現することのほうが難しく勇気がいることだと感じている。それ以上に、自分から目を背け憧れになり続けることのほうが私にとっては辛いことだった。

もし、自分の容姿に悩んでいる人がいたら、私も伝えたいと思う。
あなたにしかない魅力を、名も知らない誰かに見つけてもらえる時が来るかもしれない。そして、ありのままの自分を好きになる勇気をどうか持ってほしいと思う。あなたという存在こそが素敵なのだから。