20歳を迎え、長年夢だった職業に就いた。小さい頃からの夢が今実現しようとしている。希望に胸を膨らませ、これからの未来に期待を持っていた。
その職業が保育士だ。

私を待っていたのは、経験豊富な大人に囲まれた想像を絶する現実

子どもの頃に担任だった先生は、厳しくも愛に溢れた人だった。いつかその人と一緒に仕事がしたいと幼いながらにおもい、夢として持ち続けていた。そして、20歳を境に今まさに実現しようとしていた。

しかし、現実は想像とはまるで違った。初めての職場で、自分よりもはるかに経験豊富な大人に囲まれた世界は、想像を絶するものだった。
今でいうパワハラやモラハラが日常的に行われていた職場。子どもたちと楽しく過ごし、一緒に成長できる日々を思い浮かべていたが、新人の私は、子どもたちと関わることを許されず、草むしりや溝掃除などの雑用……そして、先輩よりも先に行動しないと叱責される。
希望に満ちた未来は、恐怖と顔色を伺う日々の連続で、憧れの職業という存在からどんどん遠ざかっていった。
それでも、職場の人と仲良くなろうと必死にもがいた時期もあったが、状況はますます悪くなっていく。初めてのことを聞いても返ってくる返事は、舌打ちか、いかに私が無能かを力説される環境だった。

社会人というカテゴリーから抜け出した私を連れ出してくれた友人

誰にも頼ることができず、独りで耐えていたが、とうとう心は壊れてしまった。
仕事に行こうとすると震えが止まらなくなり、涙が溢れてしまう。私の憧れだった職業から今すぐにでも逃げ出したいと思うまで壊れてしまったのだ。子どもたちの笑顔を見るたびに、もう少しだけ頑張ろうと奮い立たせていたが、限界は近かった。
ある日、いつものように先輩に呼び出され、心無い言葉を浴びさられていた。もはや、何に対して怒りをぶつけられているのかも分からず、怒りのサンドバックの対象として今の私は存在している。
その日を境にとうとう職場から逃げ出し、社会人というカテゴリーからも抜け出すこととなる。

毎日がトラウマのように駆け巡る言葉の数々。生きている意味も分からず、この先の未来も全くもって不透明だった。そんな私に、光が差し込む出来事が起きた。それが友人だ。
外の世界から完全に孤立した私。部屋からも出ず、ただ時間が過ぎるのを待つだけの私に連絡をくれたのだ。
「少しでいいから、ご飯食べに行かない?」
初めは、渋っていた私も友人の強い押しに負け、一緒にご飯を食べることにした。

保育士を目指した幼い頃と同じような熱量で、文章を書く夢を追う

久しぶりの外は、閉ざされた部屋と何もかもが違って見えていた。そして、ある感情が湧いてきたのだ。
「もう一度、保育士として働きたい」
そこから、意を決して求人募集を探し、子どもと関われる職場を探していった。何度も迷うことはあったが、子どもたちと過ごした日々は、劣悪な環境でもかけがえのない思い出として残っていたのだ。

初めての職場を後にして約半年がたったとき、新しい就職先が決まったのである。初めの頃は、恐怖心を拭うために時間はかかったが、子どもたちと過ごす日々は充実感で溢れていた。職場の人たちにも恵まれ、保育士という職業にやりがいを感じていった。大変なことや辛いことも経験したが、それも楽しさへと変わっていった。

そんな日々が数年続いたある日。私は、保育士以外の夢を見つけることとなる。
それが文章を書くことだ。今までの辛い経験や体験、私にしか伝えられないことを文章を通して、一人でも多くの人に伝えることができたらと考えるようになった。
まだまだ、始めたばかりの夢ではあるが、確実に実現に向けて、保育士という夢を持った幼い頃と同じような熱量を持って取り組んでいる。かつて心が壊れるような経験をし、生きる希望さえも失いかけた。

もしもあの日、人生を諦め夢を捨てかけた私に会えることができるなら……未来の姿を話しながら、一緒に夢について語り合いたいと思うのだ。
そして、今私ができることは、第2の夢が叶うように少しずつやりたいことにむけて、自分を信じて突き進むことをしていきたいと思うのだ。