永遠の漁に出た祖父、大好きなタバコを手に2人時間を楽しみたい

私には遠く離れた祖父がおり、家から約7時間先のところに住んでいました。
そんな祖父は去年の夏に亡くなりました。
田舎の漁師町で「幸栄丸」という船で漁をしていた祖父は、昔からとてもハイカラな人でした。祖父がまだ若い頃、オシャレという概念がなく、特に田舎町ではほぼ無縁すぎる世界で祖父は、一足先にレディースの服を着てバーテンダーをやっていたそうです。
年を重ねても自分の信念を曲げることはなく、好きな服を着て大好きなタバコを口に咥えながら漁に出かけていました。
そんな祖父を自慢に思い、私もその血を受け継いだのだと思っています。
家が遠く年に2回、夏と冬に祖父たちに必ず会いに行っていました。
祖父の部屋には、私たち孫の名前が書かれた額縁が飾ってありました。6人いるうちの1人だけが名前が大きく書いてあり、「なぜ彼だけ大きい名前なんだ」と聞くと、「書いた作家が違うんだよ」と祖父は嬉しそうに教えてくれました。会うたびにそれを聞いていたので毎回の恒例行事になっていたほどです。
祖父は、口数は少なく手先は器用でしたが、人と関わることに関してはとても不器用な人でした。昔ながらの考えについていけず祖母とは毎日のように喧嘩をし、父やその他兄弟たちにも辛く当たることも多く、私の父は、家族を置いて別の県に出ていきました。
そんな話を何度も聞かされてはいましたが、私にとっては優しく愛情深い人として見えていました。
そんな祖父と私には2人だけの時間が存在していました。それは、2人で出かけると称してタバコを吸う時間。
父にはバレないように理由をつけて、よく2人でタバコを吸いにドライブに出かけました。一緒に付いてきた祖母はその姿を見て怒っていましたが、祖父はとても嬉しそうに黙って隣でタバコを吸っていました。
しかし、新型コロナウイルスが流行し、簡単に会いにいくことができず約2年が経とうとしていました。
ある日私は、珍しく自分から祖父の携帯に電話をかけていました。いつもは、用もないのにかけてくる電話に少し面倒だと思い出ないこともあったのですが、この日は自分から掛け、特に話す内容もなくただ日常の会話を10分程度交わしました。
そして最後に「今年の夏には会いにいくから」と伝えると、「こいよ!じいちゃん楽しみにしてるからな」と交わし、電話を切りました。
それから1ヶ月後、祖父はこの世を去りました。約束していた夏の8月に最悪の形で会うことになりました。
父は、その姿を見て何度も「もっと早くに自分だけでも会いにいけばよかった」と行き場のない感情を涙と共に呟いていました。私は、安らかに眠る祖父を見て「じいちゃん、会いにきたよ……一緒にタバコを吸いにいこうよ」と話しかけ、祖父の大好きなタバコに火をつけ最後の一服をしました。
その味は、涙で苦く塩気を帯びて、心なしか海の潮の味がしました。
本当の最後の別れの日、大好きな祖父のタバコを入れ、「あっちで思う存分吸ってよ」と別れを告げました。
外に出ると祖父の大好きな潮風の香りがしました。山の中にある場所なのに確かに匂いがしたのです。
毎日喧嘩をしていた祖母は、ひたすら泣き続け「もっと優しくしてあげればよかった」と繰り返していました。父は、独り言のように「父ちゃんありがとう」と涙を流していました。
私も含め、その場にいた人たちに見守られ、祖父は一足先に新たな漁に出かけていきました。
不器用で無口な祖父、そして誰よりも孫のことを大切にしてくれた愛情深い人でした。亡くなってから気づく存在は、本当に大きいものでした。そして、祖父の船の「幸栄丸」は、祖父母の名前の頭文字から取っているそうです。
表現が下手な人でよく誤解をされることも多かった祖父ですが、私にとっては唯一無二のかっこいい存在なのです。もう会うことはできないですが、次に祖父母の家に行く時には、大好きなタバコを供え、二人だけの時間を楽しみたいと思います。
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