「いらっしゃいませ、お好きなお席へどうぞ」
仕事帰り、自宅の近所にあるチェーンのファミレスに入る。顔馴染みの若い女性スタッフが、私に向かって微笑みかける。
窓際、奥から二番目のテーブル席にちらっと目をやり、先客がいないことを確認した私は、その「いつもの」席に座る。

ひとりで座るいつもの席は、数年前の元恋人が好んで座っていた場所

なんとなく、入店と同時に人差し指を軽く立ててひとりであることを伝えてしまうけれど、いつからか「おひとり様ですね」とは確認されなくなった。
この席は、数年前に付き合っていた恋人が好んで座っていた場所だ。彼と手軽に食事を済ませたい時は、いつもこの店のこの席だった。

彼はその時、フィルム写真を扱う仕事に就いていて、「いつか自分の個展を開けるくらい有名な写真家になりたい」という夢を持っていた。私は、彼の撮る自然体な写真が大好きだった。そして、その夢を心から応援していた。
まさか、そんな純粋な気持ちが、純粋過ぎるが故に彼を苦しめていたとは知らずに。
誰かの夢を応援する立場というのは、思えばすごく楽だったのかもしれない。
自分がいつしか自然と諦めていた「夢を追いかけること」を続けていた彼。人の人生に勝手に期待して、寄り掛かることで、自分も一緒にその夢を追いかけている気になっていた。

無理かもしれないと思う時、彼が言った「大丈夫」に何度も救われた

注文した「いつもの」商品が運ばれてくるまでの間、彼と最後に交わした会話を思い出す。
「君はひとりでも大丈夫、頑張れる人だよ」
彼はとても優しい顔と声でそう言ってくれた。でも、そんな言葉が聞きたいわけじゃなかった。
「何を根拠に?」
苦笑いで聞く私に、彼はこう答えた。
「今までずっと隣で見てきたから、そう思う」

私は今、ひとりで毎日を過ごしている。仕事はそれなりに忙しく、充実しているけれど、息が詰まりそうな時もある。眠れない夜もある。もう無理かもしれない、と何度も思った。
でも、そんな時はいつも、人生で一番好きになった人が言ってくれた「大丈夫」その一言に救われてきた。
別れてすぐの頃は「こんなに別れが辛いなら、出会わなければよかった」なんて思ったりもしたけれど、彼との恋愛を通して、私はとても成長したと思う。
今、ちゃんとひとりで立てている。歩けている。
彼が教えてくれた音楽や小説は、今では私の一部になったように全身に馴染んでいる。ひとりの時間を楽しむ方法を、彼はたくさん教えてくれた。私が教えた映画や漫画も、彼の一部になっているだろうか。

ひとりになることが怖かったけど、いっしょうけんめい彼を好きだった

食事を終えたあと、ファミレスを出て、家路を歩く。
二回目のデートの帰り道、ぎこちなく手を繋いで歩いたのもこの道。
マンションのエントランスまで辿り着いたあと、家の鍵を失くしたことに気が付き、二人で血眼になって探したのもこの道。
彼が地元に帰る日が決まり、荷物を受け渡したあと、最後に二人で笑って別れたのもこの道。

最後の日、彼は大切な仕事道具であるカメラで私を撮った写真をいくつかプリントして渡してくれた。
カメラを構える彼に向かって、幸せそうに笑っている私。そこに写っている私は、たぶんひとりになることが怖かった。だけど、きっといっしょうけんめい彼のことが好きだった。
あの時の私に、「大丈夫、案外なんとかなってるよ」そう言ってあげたい。
ほんとに、なんとかなっている。
無難なオフィスカジュアル。無難な暗めの茶髪。無難な低めの黒いパンプス。
それでも、今、背筋を伸ばしてこの道をひとりで歩けている自分を、ちょっと誇らしく思うのだ。