黒い服と赤い口紅の鎧を脱ぎ捨てて、ファッションを楽しみたい

私は洋服が大好きで、仕事から解放されて素の自分を出すことができる唯一の息抜きが、オシャレをすることなのです。
しかし、前向きになれたのもここ最近の話。
過去の私は、別の考えを持っていました。
服を着ることは自分を守る鎧として着ていたからです。
全身真っ黒な服を着てピアスやツーブロックが見えるようにしたり、知らない人たちが振り返るような奇抜な格好をあえてしたりと、楽しむことより強く見せるために、そして心無い言葉から守るための防衛本能として選んできました。
それは、学生時代に容姿をバカにされたことがきっかけでした。
見た目に関しての悪口を言われ、待遇の違いを肌で感じ見てきたからこそ、常に容姿にコンプレックスを抱え生きてきました。だからあえて黒い服を着て赤い口紅をつけ、メイクも服も強く見えるようなものばかりを選び、そうやって心を守ってきたのかもしれません。
服を着ることで別人格に変身した気分になり、少しの間だけでも理想の姿になることで幸せを感じるようにしていました。それしか方法が分からなかったのです。
そんな姿を見て友人たちは「近寄りがたくて怖い」と言っていました。それでよかったのです。あえてそう見せているのだから……。
しかし、大人になり少しずつ過去の記憶は薄れ、自分と向き合う時間が増えました。一体誰に向けて強く見せているのか、本来の姿を隠して服を着ることが本当に楽しいのかなど、考えれば考えるほど分からなくなり、自分自身を否定する服装は日々増えていきました。
そんな私を見て、友人が真剣な顔をして話し始めました。
「服を着ただけでは、見た目は変えられても根本の性格までは変わらないよ。私は、ありのままのあなたが素敵だと思う。それに、自分が着たい服を着た方がもっと人生楽しくなるんじゃないかな。過去は変えられないけど、だったら自分のために好きな服を着て、人生を過去の分まで楽しんで生きてほしいと思う」と言ったのです。
私は、ハッとさせられました。過去を考えれば考えるほど幸せは遠ざかり、悲しい記憶だけがこびりついて取れなかった。強く見せるのではなくありのままの自分を着ることで、自ずとなりたい姿へと変化していくことにようやく気がついたのです。
家に帰り、強く見せるだけの服は全て捨て、本当に着たいと思った服だけを残しました。
少しずつ色んなスタイルを楽しむようになり、黒の服はより一層好きになりました。
強く見せるためではなくオシャレなものとして。
常に人の目を気にして生きていた頃とは明らかに違う感情が今ここにあります。過去の自分に囚われず、シンプルにオシャレを楽しむようになってからは、少しずつ「オシャレだね!」「あなたらしいね」「似合っているよ」と言ってもらえるようになりました。時には、合わせ方やメイクの仕方を教えてほしいと言われることも増えました。
服という鎧を身につけ、強く見せることで自分の心の弱さや過去の悲しみを隠し、その瞬間だけが理想の姿だと思い込んできました。
友人が言ってくれた言葉は、長く閉ざしてきた感情を解放するきっかけとなりました。それほどまでに友人の言葉には重みと深み、そして愛情がありました。偽りの姿ではなくありのままの私を見つけ出し、取り戻すきっかけとなってくれたことを心から感謝しました。
そしてこれからも、沢山の服と出会い、私なりの感性で纏っていきたいと思います。鎧としてではなくファッションを楽しむために。
しかし、過去のトラウマを思い出して鎧の姿に戻りかけてしまうことが今でもあります。それもまた、もう一人の私なのです。そんな時は否定はせず、感情のままに受け止めながら、一つひとつの鎧を脱いでいく作業をしています。重く堅い鎧はすぐに脱ぎ捨てることはできません。もしも未来の自分が、あの日のことを思いだした時に「鎧を脱ぐ決意をして本当によかった」と胸を張って言えるようになりたいと思います。
何かしらの防衛本能で自分を大きく強く見せることは、誰しもあることなのかもしれません。そんな時にそっと凝り固まった過去を脱ぐ手伝いをしてくれる人に出会えたら……。
未来の私は、きっと幸せという服を身に纏っていくことでしょう。
ありのままの姿を鏡に映しながら、これからも自由にオシャレを楽しんでいこうと思います。
大切な人たちからの言葉に耳を傾け、自分としての人生を生きていくと決めたあの日から……。
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