容姿は生活を大きく変える。心に深く残るトラウマの経験

私には、心に深く残るようなトラウマを経験したことがあります。学生時代のいじめや、社会人になってからのパワハラも含めて、心に傷を負うような壮絶な体験がありました。
学生時代の小さな社会では、見た目が全てと言っても過言ではなく、アトピー肌でバイキン扱いされたことがありました。

両親は、そんな姿をみてなんとか改善しようと、色々な方法を試してくれました。暇さえあれば肌に効くものを調べ、天然の水を遠くから取り寄せ毎日2リットル飲み、にがりが良いと聞けば、お風呂に入れて母と一緒に入りました。皮膚科も転々としながら娘のために全力を尽くしてくれました。
しかし、私たち家族の努力が報われることはなく、いじめはその後も続き、幼いながらに自分の容姿を恨むことさえありました。

綺麗になりたいという思いが報われ、大人になる頃にはアトピーも改善されていきました。
月日は経ち、学生時代の心の傷を抱えながらも幼い頃からの夢だった保育士になることができました。
しかし初めての就職先での日々は、パワハラやモラハラが当たり前のように行われ、時には存在価値を否定され、夢や希望も奪われてしまいました。分からないことを聞くことも許されず、気分の浮き沈みによって態度は変わり、時にはシールを投げつけられ、暴言を浴びせられることも日常茶飯事でした。

憧れていた仕事に訪れた「終わり」。絶望の淵に立たされた私は

仕事になると体は震え、本人を目の前にすると恐怖のあまり言葉が吃るようになりました。暴言を吐かれても、無視をされても受け入れることしか方法が見つからず、ただ耐えることしか出来ませんでした。
それでも子どもたちのために、自分の夢のためにと何度も壊れそうになりながらも働いていました。そんな姿を心配した両親は、「仕事が辛いなら辞めていいんだよ。心を壊してまで行かなくていいんだよ……」と何度も声をかけてくれましたが、その度に「大丈夫、もう少し頑張るよ」と言いながら毎日車の中で泣きながら仕事に行きました。

そんな生活も2年目の秋に終わりを告げます。
最後の日、私の部屋に来た先輩が、いつものように怒りをぶつけにやってきました。
文字にすることさえ震えてしまうほどの暴言の数々を……。
捨て台詞を吐き立ち去った後、とうとう心は壊れてしまったのです。その時の私は命を絶つことを決めたのです。
しかし、丁度通りかかった別の先輩が止めてくれたおかげで未遂に終わり、休職する形で園を離れました。その後は、働くどころか自分の部屋からも出ることができなくなってしまった私は絶望の淵に立たされていたと思います。

私の両親は娘の姿をみて、一度も仕事の話や今後の話はしませんでした。再就職を強要することもなくただ一言、「無理に働かなくていいんだよ。時間がゆっくり解決してくれるから、それまで好きなだけ家にいなさい」と言ってくれました。そして、友人たちも心配の電話をくれたり、ご飯に連れて行ってくれたりしました。

何ヶ月もの日々を、沢山の人たちの支えの中で過ごし、気持ちも徐々に回復することが出来ました。
ある日、私は両親と友人たちに「もう一度保育士として働きたい」と話すと、それぞれが自分のことのように喜んでくれたことを今でも覚えています。

悲しみを味わった私の経験が、同じ境遇の人たちの勇気になったら

あれから7年が経ち、今も保育士として働いています。
そして、沢山の人に出会い、保育士以外の夢を見つけ動き始めました。
過去の辛かった経験や体験を文章にしながら過去と向き合い、表現することに新たな可能性を感じて……。
20年以上もの間、本当に辛く苦しいことばかりでした。
一度は生きることさえ諦めようとしたこともありました。

もしも、学生時代にいじめにあっていなかったら、職場でのパワハラに悩むこともなく働き続けて平和で過ごすことが出来ていたら、私は新たな夢を持つこともなく、全く別の道を歩んでいたでしょう。
当時は辛かった日々も、今思い返すと無駄ではなかったのだと思うのです。

痛みを知る人は、心に寄り添い、同じように悲しめる人だと思う

痛めた心の数だけ、優しさと思いやりを持つことができる。
私の過去のトラウマは、大切な人たちへの思いやりの印として今も活かされています。
この先の人生も辛く悲しい経験をすることもあるでしょう。
心に傷を負う出来事があるかもしれません。

しかし、私には同じ痛みを分かち合ってくれる人たちがいます。その存在に気づくことができたのも、過去のトラウマのおかげかもしれません。
もし今、悲しみを抱えて生きている人がいるのなら、取り除くことのできない大きな痛みを味わい苦しみの中にいるのなら、いつかその記憶は、優しさへと変わるのではないでしょうか。痛みを知っている人は、心に寄り添い同じように悲しめる人だから……。今が辛くても、いつかきっと人生の中で大きな価値のあるものへと変わるのだと私は思うのです。
きっと、あなたのそばにいるはずだから。
同じ痛みを分け合うことができる存在が。