「どうしてこんなにクズなのか」シリーズで、最も忘れられない人がいる。エッセイでも何度か登場した彼のことを、今回は紹介したいと思う。
その名も「山に籠る決意を固めた男」だ。

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私の八つ年上の彼は、元々バックパッカーをしており、世界中を旅していた自由な人。そんな彼に惹かれ、私は徐々に恋愛感情を抱くようになった。また、音楽という共通の趣味を持ち、好きな歌について何時間も何日も語り合った。
彼と話しているときは、本来の私になれるような気がした。お互いを意識し、彼からの告白を受け、私たちは恋人となった。
しかし、遠距離だったため頻繁に会うことはできず、基本は電話でのやり取りのみだった。それでも幸せだった。好きなことを好きな人と話す時間は特別なものだった。
そして、もう一つ会えない理由があった。出会ってすぐに新型コロナウイルスの影響を受け、県外の外出が自粛となってしまったからだ。それでも、なんとか会える機会を見つけて、彼の住む街まで車を走らせ会いにいっていた。
遠距離はお金がどうしてもかかってしまう。だから、私たちのデートは基本家だった。彼と一緒に好きな音楽を聴きながら語り合う。会える日を指折り数えても、会ったら時間はすぐに過ぎてしまう。そんな生活を何ヶ月も続けていた。

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しかし、人間とは欲深くできている。会えることだけで幸せだった日々が、中々会えないことに不満を持ち始め、徐々に彼の行動も気になるようになってしまった。
私は、彼の家まで二時間以上の時間をかけて会いにいくのだが、その間、彼は特に何をするでもなく自由に過ごす。そして、会ってもデートも行けず家に籠るだけの日々。少しずつ不満は溜まり、些細なことで喧嘩が増えた。
ある日、彼が深刻そうな顔でこう言った。
「俺、山に籠ろうと思う。自給自足の生活をしたいんだ。そのために狩猟免許も取っている。本気で人生をかけてみたいんだ」
私は、突然の話に驚きと戸惑いを隠せなかった。それから、喧嘩のたびに「やっぱり山に籠りたい」と言うようになり、私は、なんとか気持ちを変えてもらおうと必死になっていた。

そんな生活が数ヶ月過ぎ、私は、徐々に顔色をうかがいながら言葉を選ぶようになっていた。すると、自然と「山に籠る」発言も減り、一時期は平穏な生活が続いた。
ある日、彼が「一緒に暮らしたら喧嘩も無くなるし、楽しいだろうな。周りも結婚しているし、俺らも考えていこうか」と突然言い出したのだ。
私は嬉しさのあまり、これから起きる未来を想像しながら胸をときめかせていた。私もいよいよ結婚するのかと思うだけで幸せだった。
しかし、この関係はあっという間に終わりを告げてしまうのだ。

付き合って一年記念日を迎え、私たちは、旅行に出かけた。コロナも緩和され始め、せっかくならと出かけたのだ。
旅行中は、喧嘩もなく、楽しさであふれる一日だった。この時間が止まればいいのにと本気で思うほどに……。
一泊二日の旅行を終え、帰り道、些細な事で喧嘩になってしまった。すると、彼は一言、「やっぱり、俺には恋愛は向いてない。正直もう限界だ。友だちにも相談したけど、もう、夢のために生きていきたい。だから、別れてほしい」。
私は、悲しさと悔しさと諦めにも似た感情の中、「どうして、結婚まで考えてくれていたのに」。
すると、「俺と山に来るなら考えてもいいよ」と言った。
今の生活を捨ててまで山に籠る勇気はなかった。
「最後に聞かせて。私と山、どっちが大事なの」
すると彼は「山……かな」と答えた。

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この言葉が全てを語った。何度もやり直そうと、必死にもがき続けたが、もう修復は不可能だ。私は、彼の意志を尊重し別れを受け入れた。
最後に彼は「本当に大好きだった。だから、俺は無理だけど、君の幸せを心から願っている」と言って、車から降りていった。こうして、夢にまで描いた彼との結婚はなくなり、私は独りになった。

出会ったことさえ後悔するほど、悲しくて辛かった。SNSを見るたびに、結婚と離れていく自分を惨めにさえ思った。
あれから約二年が経ち、私にも運命の人が現れた。夢ではなく私をみてくれる人に。当時の悲しい気持ちも今では、一つのネタとして書くことができるようになった。
きっと、この世界に「山と私」という究極の二択を迫った人間も、山に敗北した人間も私くらいではないだろうか。
今、失恋の中で苦しんでいる人がいるのなら、私は大声で言いたい。
自然に負けた女でも幸せになれたのだから、きっと大丈夫だと。あなたにふさわしい人が現れる序章に過ぎないと伝えたいと思うのだ。