今から、二年前。私は人生最大の失恋を経験した。
結婚を意識していた彼から、突如として「山に篭りたい」と宣言されてしまった。
周りが家庭を持ち幸せにしている姿を見て、何度も絶望をし、体も徐々に壊れていった。心のスキマを埋めるには、恋愛しかなかった。だから、忘れるために新たな恋を探し、結婚ではなく、ただ楽しい日々を過ごすパートナー探しをする事にしたのだ。
しかし、山の彼と別れてからの一年間、私はどん底まで落ちる事になるのだ。

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前の恋人と別れて三ヶ月ほど経った時に出会った彼は、靴の営業をしていた。
今まで付き合ってきた人とは違うタイプだった。端正な顔立ちに自信に満ちあふれた佇まいは、私にないものを全て持っているように感じていた。
付き合い初めの頃は、本当に幸せだった。元彼のことを忘れられるような気がした。それほどまでに充実した日々に思えた。
ある日、彼の家に行くことになり入ってみると、整理された部屋と、お洒落でこだわりぬいた空間にテンションが上がっていた。
しかし、付き合ってそこまで経っていない関係に、私はまだ、彼との距離感が掴めずにいた。極力大人しくボロが出ないように心がけていた。
一日があっという間にすぎ、幸せな気持ちのまま家に帰ろうとしていた時、彼からLINEが届いた。
「今日の君、なんか変だったよね。もう少し、自分を出していいんだよ。素を出していいんだよ」
私は、突然のLINEに驚いたが、嬉しかった。人生で自分を出すことは、いけないことだと言い聞かせてきたからだ。だから、その言葉が本当に嬉しかった。しかし、彼の言葉は善意ではなく、モラハラの始まりだとは、この時はまだ、気づけていなかった。

それから、少しずつ素を出すことを心がけた。すると、毎回彼からどれだけ素を出せているかの評価表が送られるようになった。そこから彼の言動はエスカレートしていく。
ある日、彼は結婚式に出かけた。私は、彼の帰りを待ち、感想を聞くことを楽しみにしていた。すると彼は「結婚式なんて自己満足だよね。正直、俺全然話せなかったし、無駄な時間を過ごしたわ」と延々と愚痴を聞かされた。
あまりの事に無言でいると、「ねえ、話聞いてるの?もういいわ。お前と俺の価値観は合わない」と一方的に電話を切られてしまった。そこから、長文で私の短所を並べては、否定的な言葉を浴びせてきた。

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そんな生活が三ヶ月目に突入したある日、彼に「俺は、コロナで仕事もどうなるか分からない。このままでは実家に帰るかもしれない」と告げられた。私は「そうなんだ。大変だね」とだけ答えた。
すると、続けて彼が「だから、俺、ピアノ始めるわ!百日間で初心者がどれだけ弾けるようになるのかSNSであげようと思う」。
私は、何を言っているのか理解できなかった。そこから、彼とピアノ探しを始め、練習にも付き合わされた。そしてあっけなくブームは八日目で終了を迎えた。

彼からの態度は、ますますひどくなり、決定的な出来事で私たちの関係は終わりを迎える。それは、関係も冷めきっていた時、家に呼ばれハンバーグを作る事になった。
自分の惨めな姿と扱いに涙が止まらないまま、材料を取ろうと冷蔵庫を開け、勢いで閉めた時、後ろに置いてあったコップが床に落ちてしまった。大きな音に彼は慌てて駆けつけ私を怒鳴りつけ、渋々片付けをしていた。
私は冷静な判断を失ったまま、ハンバーグ作りに戻った。不意に手を滑らせ、ガラスの破片が残る床にハンバーグを落としてしまった。「ごめんなさい。もう食べられないから捨てるね」というと、「お前とは、本当に価値観が合わない!もう無理だ!別れる」と言われた。
どうしていいかわからず食べられそうなところだけを拾い、私が食べることにした。その姿を見た彼は「初めからそうすればいいんだよ」と満足そうに笑っていたのだ。

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この事件をきっかけに後日、別れを告げた。ここには書ききれないほどの暴言や人格否定をされた。しかし、完全に自信を無くした当時の私には、彼にすがる道しか分からなかったのだ。
今でこそ、彼との三ヶ月間は本当に無駄だったと痛感する。しかし、あの経験なしには、心の痛みを知ることはできなかったのかもしれない。辛く苦しい時間も、今となれば最高のネタになったのだ。
この話にタイトルをつけるとしたら「自意識過剰なモラハラ男」として「どうしてこんなにクズなのか」シリーズの一つとして入れたいと思うのだ。