「私の体は、この数年間でどうなってしまったの」
そう思うことが増えていきました。ふっくらした顔は、痩せこけてしまい、笑うたびに、筋がくっきりと見えるようになってしまいました。
あばらは浮き出て、今にも折れそうなくらい細く、軟弱になった手足を見るたびに、私は、なんとも言えない絶望感に襲われていました。
そう、私は三年前から摂食障害になってしまったのです。

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始まりは、三年前の冬。仕事とプライベートの両方が上手くいかず、ご飯が食べられなくなっていきました。
ある日、仕事中に強い腹痛に襲われトイレに駆け込み、その後、二十回以上もトイレに駆け込んだのを覚えています。この日を境に、私はご飯を食べるたびにトイレに駆け込む生活が続き、徐々に食べることが恐怖になっていきました。
しかし、当時の私は気持ちが落ち着けばきっとよくなると思い、特に病院にいくことも、周りに相談することもしませんでした。

そんな生活が約二年続いた頃、久しぶりに大学時代の友人に会うことがありました。
新型コロナウイルスの影響もあり、中々会うことが出来なかったので、久しぶりの再会に私は、胸を躍らせながらその日を待ち望んでいました。

当日は、ランチを食べにいくことになりました。
マスクをつけていたため、お互いの顔もあまりわからない状態での再会に、時代は変わってしまったなと、なんとなく思っていました。
お店に入り、それぞれ好きなご飯を注文しました。正直、全部食べられないことが不安でしたが、それよりも会えたことが何より嬉しかったのです。

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マスクを取り友人の顔を見ると、そこにはとても悲しそうな表情の友人が写っていました。
「どうしたの?そんな顔して……」
すると、友人は、「私のセリフだよ。どうしたの!?何があったの?こんなに痩せて……。仕事が辛いの?何かあったの?」
優しいながらも、本気で心配している友人を見て、何もかも忘れて涙を流していました。友人は、私の話を静かに聞きながら、時折、涙を流してくれました。
熱々のハンバーグは、とっくに冷めてしまい、気がついた時には固くなっていました。しかし、文句を言うこともなく、「無理しなくていいから、美味しかったって思える分だけ食べなよ」と言ってくれました。少しだけしょっぱくなったハンバーグを二人で食べました。

それ以降友人は、時間を見つけて電話をくれることが増えましたが、状況はますます悪くなっていきました。職場では、前よりも孤独になることが増え、より一層痩せていってしまいました。
かつて、やり甲斐を感じ、天職だと誇りを持ってやっていた保育士は、辛く苦しい存在になっていたのです。毎日、鏡を見ることが憂鬱になり、とうとう避けるようになっていきました。

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私は、自分自身を受け入れられなくなってしまったのです。変わりゆく容姿を、嘆き時に哀れに思うことさえ増えていきました。
「私の体は、一体どうなってしまったの」
そう問いかけても、答えは見つかることはありませんでした。
そんなある日、交際している彼はこんなことを言い始めました。
「痩せていても太っていても、君には変わりがないよ。どんな姿になっても僕にとっては、素敵な君のままだよ。だから、容姿をそんなに悲観的に考えないで。大丈夫。きっと、時間が解決してくれるから」とそっと抱きしめてくれたのです。
私は、ダムが決壊したように、号泣していました。容姿のことを気にするあまり、心はどんどん深い底に落ちていくようでした。そんな姿を一番身近で見ていたのは、彼でした。だからこそ、容姿ではなく私自身を見続けてくれていたのです。そして、摂食障害だと思っていた症状は、今年の六月にうつ病だったと診断されました。

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徐々に痩せていく姿を受け入れられず、暗闇の中でもがき苦しみ続けていた理由が、心の病気だったのです。
今までは、ただご飯が食べられず痩せていったことへの絶望がさらに心を苦しめているのだと思っていました。しかし、数年にわたって蝕み続けた”うつ病”は、心だけでなく体さえ変えてしまったのです。

この先、この病気が完治するのか、私自身がどうなるのかは分かりません。
未だに、痩せていく恐怖と闘い続けています。ただ一つだけ言えることは、私は孤独ではなかったのです。支えてくれる人がいたことに、”うつ病”になったことで気付かされたのです。
心の病気は、誰にでも起こりうることだと思います。小さな変化が心の闇に気づくきっかけになるのかもしれません。
ただ、この病気を受け、私は自分の体を悲観的に考えることをやめました。私自身が、今の容姿を受け入れることが、前を向く一つの方法だと思うから。