「父ちゃん、母ちゃん、育ててくれてありがとう」
そう面と向かって言うのは恥ずかしいから、このようにエッセイの場を借りて伝えたいことがあります。

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小さい頃、私は笑わない子でした。何に対しても興味を示すことはなく、そんな姿を心配した両親は、笑う姿を見たい一心で、様々な所に連れて行ったそうです。
テレビでやっていたキャラクターショーのイベントがあれば足を運び、レジャー施設にも多く訪れている様子が写真として残っています。しかし、どれだけの場所に行っても私が笑顔になることも、興味を示すこともなかったそうです。両親は、そんな私に不安を抱きながらも愛情を注ぎ続けてくれました。

ある日、私たち家族はディズニーランドに行く計画を立てていたそうです。当時は、両親も若かったため、金銭的な余裕はあまりありませんでした。また、住んでいる場所も遠く、ディズニーランドに行くこと自体が、大旅行だったのです。それでも両親は、娘の笑顔のために夢の国へ行くために、毎日必死に働き、お金を貯めていました。

当日、夢のディズニーランドに行っても、私は笑うことも興味を示すことはなく、両親は、その姿を見て愕然とし、純粋に悲しい気持ちだったのだと思います。
そんな時、とても明るく楽しそうな曲に合わせて、ショーがやっていました。不意に止まってそのショーを見ることにすると、今まで興味を示さなかった私が、初めて真剣にジッとショーの様子を見続けていたそうです。

娘の見たこともない姿に、両親は「今、ジッと見てたよな。これ、好きなんだ」と、感動にも似た気持ちで一杯になったと言っていました。その姿を何度も、何度も見たいと、両親は、無理をしてでも毎年ディズニーランドに連れて行ってくれました。だから、私のアルバムにはディズニーランドで撮った写真が多くあり、キャラクターと一緒に写っているものもあれば、飴を片手に変顔をしているものまで、本当に沢山の表情をした姿が映し出されていました。

この話を耳にタコができるほど父ちゃんから聞かされています。まるで、昨日のことのように懐かしさを感じ、そして時には大人になった私の姿を見て時折寂しさを混じらせながら、ポツリポツリと話すのです。

ある時、父ちゃんは私にこうも言いました。「ディズニーランドの話は、いつかどこかで話してくれよな」と。
何度も聞かされた話は、いつしか私の中でも特別な思い出となっています。幼い頃家族で行った思い出の場所は、大人になり、友人や恋人と行くことがほとんどとなりました。もう、何年も家族揃ってディズニーランドには行っていません。しかし、今でもテレビからCMが流れると「懐かしいな。あの時はな」と思い出話が始まります。そして、決まって「また、いきたいな……」と両親は少しだけ寂しそうに言うのです。

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幼い頃は家族と出かけることが当たり前でした。思春期になり、家族と出かけることが恥ずかしくなり、徐々に出かけることを拒むようになっていきました。そして、大人になった今では、家族と出かけることよりも、友人や恋人と出かけることが当たり前になっていきました。そうやって、少しずつ家族から離れていくことに何も思わなくなっていました。

しかし、大人の階段を一つまたひとつと上がるにつれ、家族の形は変わり、私自身も環境が変わっていきました。そして今年、私は、新たに家族を作ることになりました。
彼と一緒に両親に挨拶に行った日、反対されるかもしれないと不安になりながら会いました。その日の天気も、温度や風の流れ、空気感など今でも鮮明に思い出すことができるほど、特別な日でした。

そして、両親と彼と席に座り、彼が話し始めます。母ちゃんは「何かあった時に、すぐに助けてあげられるようにしたい」と話していました。父ちゃんは。「嫌われるのは嫌だから、受け入れるしかないだろ」と少しだけ寂しそうに、でも心から祝福してくれていました。
それから、彼を家族の一員としてもてなしてくれたり、困った時にはすぐに助けてくれたりと、支えられることが増えていきました。

きっと、昔から両親は私のことを、家族のことを一番に考え、愛情深く大切に育ててくれていました。しかし、その有難さを忘れていき、やってもらうことを当たり前だと思うようになっていたのだと思います。
歳を重ねていけば、両親も同じように歳を取る。いつまで一緒にいられるか、元気でいてくれるかはわかりませんが、二人がいる限り、沢山ありがとうと伝えたいです。

そして、父ちゃん母ちゃんへ、育ててくれてありがとう。沢山の愛情をありがとう。
無表情だった娘は、こんなに表情豊かになりました。子どもの頃には気づくことの出来なかった思いを、今は身にしみて感じることが増えていきました。
新たな家族を作ろうとする私は思うのです。
父ちゃんと母ちゃんの子どもになれて幸せです。本当にありがとう。