当時17歳のナタリアは大人びていた。
背が高く、肌を露出し、サングラスをかけていた。
私より2歳若いのに、ぐんと大人びて見えた。
けれど、はにかむ瞬間の表情は可愛らしく、あどけなさが残っていた。

私たちは数年前の8月から、南フランスのモンペリエに留学をしていた。偶然同じホームステイ先に滞在し、数週間、同じ屋根の下で暮らした。
ナタリアはロシアで生まれ、私は日本で生まれた。互いに自国で育ち、異国の地で出会ったのだった。
ある夜、私とナタリアは部屋のテーブルを真ん中に、二人で話し込んでいた。もちろん流暢ではなく、つたないフランス語にジェスチャーを交えながら。

「しずかは親友ってなんだと思う?」と尋ねるナタリア。
なんだろう……。少し考え込む私に対し、「何でも話せて、いいことも悪いことも議論できる相手だと思うの。だから、しずかと会えて嬉しかった」。
そんな風に力を込め、けれどゆっくりと語りかける彼女の表情に幼さは見えなかった。そこにいたのはひとりの強い、自立した女性だった。

ハプニングの連続で始まったフランスでの生活。不安がよぎった

フランスの首都・パリから高速鉄道(TGV)で南下すること約3時間。地中海に面するモンペリエには、学生都市として世界中から留学生が集まっていた。
中心部にある旧市街は絵本の世界から出てきたような街並み。ゴシック様式の建物が連なり、街一帯が美術館のように洗練されていた。
しかし、この街に到着した日に抱いた感想は、「混沌」。
大幅に遅延した高速列車に疲労困ぱい、駅前ではタクシー運転手と乗客が揉めていた。
通う先の語学学校に立ち寄ると、申し込んだ授業が受領されていないハプニングが発覚。
景色は綺麗なのに、てんやわんやする事態。「私ここでやっていけるのかな……」と呆然とした。
なんとかホームステイ先に到着。明るいホストマザーをはじめとした家族、先に滞在をスタートしていたナタリアに出会った。
長い移動で疲れていた私は、すぐに眠りに落ちた。
翌朝、食事の際にすでに家族と溶け込み話していたナタリア。対照的にフランス語力が乏しく、慣れない私はひと言、ふた言会話に参加しただけだった。「まだ始まったばかり」と自分を奮い立たせるものの、そのときは自信がなかった。

ちゃんと思いを伝えたい。ナタリアから刺激を受けた

日を追うごとに少しずつ生活に慣れ、家族やナタリアと会話できる回数が増えた。「おはよう」と話し、「好きな食べものは?」などといった簡単なものばかりだったが、それでも私たちの距離は近くなっていった。

ある週末の日、同じ語学学校に通っていたナタリアと私は(クラスが異なり、学校ですれ違うことさえ稀だった)、初めて二人で家を出て道を歩いた。
少し緊張する私。語彙が豊富で活発な彼女は身振り手振りで、私に伝わるように話しかけてくれた。そんな姿を見て、刺激を受けた。
「もっとちゃんと思いを伝えたい、会話がしたい」

明くる日から私は語学学校で学んだことをきちんと覚え、手を上げて発言するようにした。ホームステイ先でも同様に、自ら話しかける回数を増やした。日記を書いてホストマザーに添削をしてもらったり、ナタリアと互いの国の簡単なフレーズを教えあったり。
特に彼女はイラストを描くのが上手で、「こんなの描いてみたんだ」と私の部屋にやってきて見せてくれたことがあった。「すごく上手!」と驚く私を前に、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうな表情を見せ、心が通った気がして喜ばしかった。

互いの国のことは知らなくても、国境を越えて友情は育った

そんな風にやりとりを重ねていくうちに、自然なコミュニケーションが取れるようになっていった。異なる国から来た私たち二人は、まるで昔からフランスで暮していたように現地の生活に溶け込んでいた。

ロシアと日本は隣国なのに、互いの国のことをあまり知らなかった。
ある日、政治の話題になったとき、彼女は私に「ロシアは広いから、全てわかりきれないことがある。けれど、自分の国はとても好きで、それはフランス、日本に対する感情と同じ」と話した。印象的だった。
留学を終えて帰国した私は、「ロシアはどんな国なのだろう」と興味を持った。近所のロシア料理店を訪れ、食事をしてみる。真っ赤に染まったスープ、インパクトのある揚げたパン料理。口に運ぶとさっぱりと、しかし濃厚で意外にもおいしかった。

ここ数年、ロシアとウクライナ情勢に関するニュースを見ることが増えた。ネット上では他国を抑圧するとして、ロシアに対する批判の声が多く見受けられる。
ロシア市民・ナタリアと過ごした日を思い出す。
心を通わせ見えない糸で繋がった私たちの間には、国境という壁が消えていた。そんな私が願うのは、少しでも問題が良い方向に向かい、「国民が生きやすい世の中になりますように」。どうか「ロシアは間違ったことをしている。すなわちロシアの全てが悪」という認識だけは広がらないでほしい。

世界から争いはなくならない。でも、できることはある

モンペリエの駅前でタクシーの乗客と運転手が口論していたように、多様な人々がこの世に暮らす限り、日常から国単位まで争いはなくならない。けれど知識を増やし、話し合い、理解することで誤解が解けたり緩和したりと、少しでも状況は良くなるのではと考える。そうあってほしい。

私は自分のできることとして、毎回選挙に行く。自分の一票は微力であっても、世の流れに関心を持つことで少しでも知識を深め、物事を捉える角度を広げたいからだ。
起きた事象に対し、当事者意識を持って向き合いたい。私もナタリアのように自立したひとりの人として生き、誰かの心の支えになりたい。

そして私は今、渦中のロシアについてここにつづることにした。ナタリアとロシア、そして何かと戦い向き合う全ての人に思いを込めて。