大人の話に入れてもらえない。大人になった今も続く不思議と幸せ

小さい頃に、よく言われた言葉がありました。「大人の会話なんだから、入ってきちゃダメだよ」と。
私は、時折開催される大人だけの会話にいつも疑問をもっていました。「そんなに大事な話ならどうしてこんな所でするんだろう。もっと別の場所で話をしたら良いのに」なんて思っていても、口に出したら怒られるから、言わずに静かに会話を盗み聞きをしていました。
ただ、大人たちの会話は難しくて、私たちには呪文に聞こえてしまうようなものばかりでした。結局つまらない会話を聞くことに飽きてしまった私たちは、他の所に移動して、遊びに戻ってしまうことがいつもの流れになっていました。
深刻な話もそうじゃない話も「大人の話に首を突っ込まないの!」という言葉で解決してしまう魔法みたいな便利さがありました。だから、いつしか「私が大人になったら堂々と『大人会議』に入れてもらうんだ」と密かに思うようになっていきました。
毎年誕生日を迎え、大人の階段を登り続けていくことに、当時は嬉しくて仕方がありませんでした。あと少しで大人の仲間入りができると思っていたからです。そして二十歳の成人式を迎えた私は、大人会議に出席する許可がいよいよ認められると思い、嬉しくてたまりませんでした。
絶好の機会を待ち続け、いつ始まるかも分からない『大人会議』への出席の準備は、すでに整っていたのですが、いつまで経っても召集されることはありませんでした。それどころか私の知らないところで勝手に開かれていることさえあったのです。
どうして気づいたかというと、部屋の隅っこで私を除いた大人たちが話をしており、たまたま近くを通りかかったとき「今大事な話をしているから向こうに行ってて」と言われてしまったのです。私が「えっ?なんで?」と聞くと、「大事な話だから大人たちだけで話すから」と当たり前のように言われてしまいました。
衝撃的でした。だって、私は成人式を迎え立派な大人になったはずなのに、両親から未だに子ども枠として扱われていたのだから。
あれだけ「二十歳おめでとう!これでお前も大人の仲間入りだな」と言われてお祝いされたはずなのに、結局『大人会議』になると、途端に私は子ども扱いに変わってしまったのです。指折り数えて待ち焦がれていたにも関わらず、私はいつまで経っても両親にとっては、昔と変わらず子どものままだったのです。
憧れていた大人たちの会話に入ることは、その後も許されることはありませんでした。
そして、大人になってから数年が経ち、世間一般ではアラサーと呼ばれる年齢になりました。しかし、未だに『大人会議』に出席することは許されていません。かつて大人だと思っていた人から見たら、どれだけ年齢を重ねても私は子どものままに過ぎないのです。
ただ、今の私には大人の仲間入りをしなくても良いかなと思うようになりました。お金の話や老後の話、分かりたくもない難しい話が多すぎるから。だったら、このまま子どもとして、話を聞かない方がむしろ幸せなのではないかと思うようになりました。
幻の『大人会議』は、この先も一生聞けることはないでしょう。ただ、いつまでも両親の前では、子どものままでいられることに、少しだけ嬉しく思うのでした。
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