「必ず行くよ」と言ってくれたおばあちゃんに見せる、大切な晴れ姿

私のおばあちゃんは、十七年前に亡くなりました。もう、中学生の時の記憶だったので、おばあちゃんとの思い出は少しずつ薄れていました。
亡くなった当時は、笑い声から何から何まで覚えていたのに、今では、その声すら思い出すことはできません。
毎年、お盆と正月、そして命日には必ずお墓に手を合わせ、おばあちゃんに会っています。冷たく固い墓石に手を合わせ、家にある仏壇に線香に火をつけて、また、手を合わせる。年に三回、そうやっておばあちゃんと会っていました。
特に会話をすることはありません。昔は、近況を報告したり、思いを伝えたりすることもありましたが、今では流れ作業のように、一連の作法をして、すぐにリビングに向かうようになりました。
特に、報告をすることもなければ、話すこともない。何より昔は、ほんの少しでも夢に出てきてほしい一心で、あれやこれや話をしていたけれど、そんな願いが叶わないことも、分かるようになってからは、ただ手を合わせるだけになってしまいました。
きっと、昔のように純粋だった心から、少なからず私は、大人になってしまったのでしょう。大人の階段を登ることと引き換えに、おばあちゃんとの楽しかった思い出は、置いていくことにしました。だから、大切な思い出の数々を忘れてしまったんだと思います。
そんな私は、あることがきっかけに、おばあちゃんとほんの少しだけど話をすることがありました。
今年の八月、いつものようにお墓に行き、手を合わせていました。何も変わらずいつものように。そして、おばあちゃんの家に行き、仏壇を通らずにリビングに行きました。
そこには、今まで気づくことのなかった一枚の写真がテレビ台に飾られてしました。ふとその写真に目を向けると、生まれたばかりの私を抱くお母さんと、その肩をぎゅっと抱きしめて、微笑むおばあちゃんが写っていました。
なぜだか、その写真から目を離すことができずに、じっと見つめる目には涙が浮かび、滲んで前が見えなくなっていました。
薄ぼけた写真には、確かに笑顔の顔が私を見つめているように向けられていました。おばあちゃんの顔も、お母さんの顔もどことなく私に似ている部分がありました。だから、なんとなく、その写真を見つめると、私とお母さんが写っているような錯覚になるほど、似ていました。
私は、思い立ったように、仏壇の前で線香に火をつけ、手を合わせて目を瞑りました。
「ばあちゃん私ね、今年結婚するんだ。リビングにある写真を見て、なんだか、昔のことを思い出した気がしたよ。あんな風に一緒に笑ったり沢山話をしたり、楽しかったよね。結婚式は、おばあちゃんの一番素敵な写真を持っていくから、絶対に式を見にきてね」
そう言いました。すると、線香の煙が少しだけ揺れたように見えました。
それが偶然かどうかなんて、私にはどうでもよかったのです。だって、おばあちゃんは「必ずいくよ」と言ってくれたことが私には、分かっていたから。
当日は、おばあちゃんが一番好きだった服を着て笑っている写真を持っていこうと思います。人生に一度きりの晴れ姿を、とびきりのお洒落をして来てもらうつもりです。写真越しではあるけれど、ウエディングドレス姿で一緒に新たな思い出を残そうと思います。
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