苦痛だった記憶を忘れる。私をいじめた子はいつものメンツになった

私は中学生の時にいじめられていました。内容は正直可愛いもので、靴を隠されたことも机に落書きされたこともありません。ただ部活中に無視されるだけでした。
しかし、思春期でデリケートな時期の中学生女子にとっては苦痛の日々でした。
たった1ヶ月ほどのいじめでしたが、辛い経験は意外と覚えているものですね。いじめた側の子たちは多分、いじめの自覚もないままそんなことを忘れているのだと思います。
しかし私は、あの子たちにいじめられて良かったと思っています。それは壮絶な嫌がらせをされなかったから、という理由もありますが、人の痛みがわかり許容できるようになったからです。
自分がされて嫌なことはしない、それを無意識のうちに決めたのはこの時だったと思います。
というのも、中学生の時から大人な考えができていたので、意外と苦痛は少なかったんです。いじめられるのはみんなよりも少し頭が良くて少し運動ができたから、羨ましがられてただけなのでは?と自分で思っていました。
実際その時の顧問も気にかけてくれて、私は多分羨ましがられる要素が人より多いすごい子なんだよって言ってくれました。
しかし今まででいじめられたのはたったその一回で、悪い思い出というよりは良い経験だったと思います。
そしてこの話の中でみんなに驚かれるのは、いじめてた子たちと今ではすごく仲良しなことです。
私をいじめてた子たちには多分私をハブった記憶なんてありません。きっと当時の自覚もなければ記憶にも無いと思います。
私はそんな彼女や無自覚にいじめてきた人に対して少し寂しさを覚えます。それは本当の意味で人の痛みをわかってあげられない気がするからです。
でも人間的に魅力がないわけでは決してないのです。彼女たちには彼女たちなりの魅力があって、人間関係や関わり方があるのです。私と合うかは正直関係ないのです。
ただ時間が経つと不思議なもので、同じ思い出を共有した仲間と話したくなるのです。中学校の部活は青春中の青春。話題が尽きるはずがありません。
高校でみんなと離れ、それぞれ高校を楽しんでいましたが、中学の部活のメンツで集まることも増えました。定期的にあってはうるさいほど馬鹿騒ぎをし、昔の思い出や今の恋愛話をしたりと女子会をしていました。高校を卒業し、大学生になっても忙しい合間にあったり、誰かが声をかけたらみんなで集まれるような仲になっていました。私はすごく幸せです。
そんな関係性を心地よいと思えたのは最初からではありませんでした。だけど時間が経って、みんなの価値観や考え方も大人になっていって、自分も成長して受け入れられるようになりました。
人は成長していくうちに良い方向に変わっていけます。もちろん、全員がそうとは限らないと思います。
だけど、過去の子供な自分と相手を許してあげるのも大切だと思います。またまだ成長段階の私たちはお互い未熟であったに違いありません。
嫌いな人、苦手な人は必ず誰にでもいると思います。そんな人いない、と言われたら、良い人だなとか優しい人だと思う前にむしろ疑ってしまいます。できれば関わりたくない人でも状況によっては関わらざるを得ないこともあるでしょう。私にだって学校や仕事の団体の中で生きてきたのでそんな経験はありましたし、これからもきっと出会います。
しかし、人って幸せな生き物で、時が経てば大抵忘れます。嫌な感情を覚えていても、その時のリアルな悲しみを引きずることはありません。
だから私はポジティブに前向き思考だって言われるのかも知れません。だって楽しい時に楽しんだもん勝ちでしょ。
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