私は小さな頃からそこそこ勉強ができた。スポーツもまぁまぁできた。基本的に要領良く何でもこなせたし、怒られるのが嫌いだから良い子でずっといれた。
周りのママからは褒められるし、習い事の発表会では割と前の方やトリを任せてもらえたりと色んな経験をさせてもらってきた。だから私は幸せだし、順風満帆な人生を送っている。
だからこそ、特に何かに挑戦しなくても全く苦はなかったし、少し頑張ればほどほどにできたので、死ぬほど努力したことはないかもしれない。

もちろん、負けん気はあるし、勝負事にはガチンコでぶつかりに行くので、学校行事や部活の試合でもたくさん勝ったし負けた。その度に嬉しい時はみんなで喜び、悔しいときには泣いて励ましあい、更に上手くなろうと努力してきた。

多分、世の中のスタンダードに近い私は「一般的」で「普通」だ。ある人からしたら羨ましい人生かもしれないし、ある人からしたらつまらない人生なのかもしれない。私は満足しているから良いのだけれども。

何か特別な行動をしなくても満足できる生活は、すごくありがたい。しかし、何かに挑戦したい時に引っ掛かる足枷になってしまうこともある。
それは私が高校生のとき、受験する大学を決める時に現れた。

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私には漠然と農学系とか生物系のお勉強ができたらそれでいいや、という思いがあって、特に大学生活に求めるこだわりはなかった。
それでも人生の夏休みと言われる大学ではたくさん遊びたかったし、将来的にもプライド的にも世に言う「良い大学」に行きたかった。私は一人っ子で両親と仲良しなので実家から離れるなんて全く考えていなかったが、農学部を調べているうちに地方の大学の方が環境が良さそうだと思うようになった。

ただ何となく調べていた高校2年生の春や夏は、地方の国立なんて頑張ってもいけないよなぁと言い訳しつつ、内心を口に出さなかった。友達にも親にも。密かな目標として頑張っていても、公言しないとなかなか努力も難しいもので、学力はそこで伸びないまま悩み始めた。

みんな着々と目標を決めて頑張る中、私の本音は言えないまま。そんな時、定期的にある全国模試で志望校を書かなければならなくなった。

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何校か書く欄があったので、その中に本命の志望校を書いた。模試の結果は微妙で、正直目標に届くには頑張らないといけないなという数値が返ってきた。それでもその結果を見て、かなりショックを受けた自分がいた。
「私、自分で考えてた以上にここに行きたいんじゃないか?」
そう思うようになると、勉強も一層頑張れるようになった。

友達にも親にも何となく行けたらいーなーという程度で公言を始めて、自分に喝を入れるようになった。受験生でも行事が盛りだくさんの学校だったのでかなり忙しかったが、なんとか乗り切り、いよいよ願書を提出する時になった。その時に初めて親に断言した。

「私、この大学に行きたい」
親は勘づいてたけど言い出すまで黙っていたらしく、やっと公言したことで面と向かって応援してくれるようになった。
塾でも公言し、同じ志望校の子と過去問の話で盛り上がった。
公言したからには落ちたくない、自分の努力不足で悔しい思いはしたくない、その一心で受験勉強に励んだ。2次試験まで無事に終わった後、正直全く自信がなかったので溺れるように毎日遊んだ。

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そんな中、やってきた運命の結果発表の日。その日はたまたま卒業式前日で、高3生の登校は遅くてよかったが、落ちたら学校を休もうかとも考え、先生に遅刻連絡までしていた。

その日は親も緊張していて、お母さんはわざわざ会社を休んで一緒に合格発表をみると言ってくれた。発表までの時間は、リレーのスタートダッシュの前のような緊張で、お母さんの前で泣き崩れてしまうかもしれない、と覚悟を決めていた。
そして(ネット画面だったので)スクロールする指が震える中、自分の番号があるか探した。

結果は「合格」。
自分の番号を見つけた瞬間に何もかも忘れて叫び、お母さんとお互い泣きながら抱き合った。その瞬間に大学生活で親元を離れることが確定したのだった。

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私は緊張がふっきれて忘れていたが、お母さんに「一人暮らしでも頑張ってね。ずっと応援してるからね」と言われて、さらに泣いた。

学校には顔がぐちゃぐちゃのまま登校したので、みんなには落ちたとその日は誤解されたけど、あとで報告したらみんなにおめでとうと祝ってもらえた。自分の「やりたい」を信じて突き進む経験をさせてくれた親に感謝だし、それが大切だと身に染みる体験が残って本当に良かった。