盲目になるほど大切なものを失う恋。思春期に知った、上辺だけの友情

中学二年生の時、とても仲のいい友だちがいました。それまでの私は、友人と呼べるような関係の人は、全くおらず、友だちという存在が、羨ましくて仕方がありませんでした。そんな時、同じクラスになった女の子と、なぜか意気投合して仲良くなっていったのです。
その子は、クラスでも中心的な人物だったから、自然と周りに人が寄って来ました。いつしか、私も仲間に入れてもらい、みんなで遊ぶ楽しさを知っていきました。中学生だから遊びといえば、大型スーパーに行くか、カラオケに行くかしかなかったけれど、それでも、人生が見違えるようにキラキラして見えていました。
この頃になると、多少男女を意識し始める年齢でしたが、私は、とにかく友だちが欲しかった。そのためならどんなことでもしました。
可愛くない私は、見た目を笑いに変えて、グループのピエロ役になることを決めました。異常なまでに、食べ物を買い漁り、お小遣いのほとんどをお菓子やアイスに使っていました。見た目が変われば変わるほど人が集まって来ることに、いつしか、この方法は正しいことだと疑わず、友だちを作ることだけに全力をそそいでいました。
そんな時、いつも遊んでくれる彼女から、好きな人がいると相談をされたのです。友人の恋を応援するなんて、私は、とても嬉しくて彼女の思いが叶うように心から祈っていました。しかし、どこで道を間違えたのか、ある噂が流れてきたのです。
彼女が好きな男の子を、私が好きになっているという噂が……。
私は、そんな事実全くないと言い続けましたが、噂は、どんどん一人歩きをしてしまい、仲が良かった友人だった人たちは、どんどん離れていきました。
ある日、学校に行くと、ヤンチャな女の子は、私に向かって「人の男、好きになってんじゃねーよ!」と吐き捨て、どこかに行ってしまいました。
あれだけ仲が良かったグループの子たちは、一人残らず私の元から去っていきました。初めから、本当の友だちだと思っていたのは、私だけだったのです。
それから、私を除いてグループで遊ぶ姿を何度も見かけました。わざと、聞こえるように約束をしたり、悪口を言われたこともありました。心の中で「私は、何も悪いことをしてないのに」と何度も思いましたが、きっと、私が言葉で伝えても、聞いてもらえるはずがないと、いつしか抵抗しようとする気も起きなくなってしまったのです。子どもながらに、世の中の不条理を感じさせられていました。
そして、私の元に残ったのは、ピエロ役を演じるために過食を繰り返して変わり果てた姿だけでした。
あれから、随分と時が経ってしまいました。
中学時代に仲が良かった人たちとは、その後も遊ぶことも会うことも一度もありません。ただ、どれだけ、友情を深めていても、恋愛感情がどこかで入り込んでしまうと、今まで築き上げた信頼も友情も全てなくなってしまうことは、大人になってからも沢山、味わってきました。
恋をすることは、すごく素敵で尊いことだと思います。
ただ、時には、友情を壊してしまうことや、知らないうちに傷つけてしまうことだってあるのです。そして、私自身も恋愛にのめり込むあまり、周りが見えなくなり、友人に沢山迷惑をかけてしまうこともありました。自暴自棄になって、あえて自分を大切にしない行動を取ったりもしました。
でも、今なら分かる気がします。
恋愛は、盲目になればなるほど、大切な何かを失ってしまうこと。
そして、時に取り返しのつかないことになることを。
どれだけ素敵な恋をしようとも、自分自身を、そして支えてくれる周りの人を大切にできない人に、幸せなど訪れないことを身をもって知ることができたのです。
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