今度は私が恩返しする番。同じ境遇の人を助けられる文章を届けたい

エッセイを書き始めてから、もうすぐ一年が経とうとしています。
始めた頃は、右も左もわからず、ただただ思ったことを日記のように書くだけのものでした。特に元カレの復讐のためにと始めた試みだったので、とにかく当時のやられた屈辱を晴らすために、ひたすら文句ばかりを並べるような書き方しかできませんでした。
彼に出逢い友人の応援もあり、いつしか復讐ではなく、自分のために誰かのために書くようになってからは、文章に少しずつ私の色が出始めたように思います。
保育士をしながらエッセイを書くことは、本当に大変でしたが、いつしか文章の仕事ができるように、私の夢が叶うようにと、自分の時間も全て削ってやり続けていました。
ただ、その頃から体や心は悲鳴をあげ、私は、とうとう保育士を休むことになってしまいました。保育の現場から離れてから、私は、少しずつ自分自身の道に迷うようになりました。
大好きだった子どもたちと会えない日々は、本当に辛くて、どんどん心を苦しめてしまいました。なんのために、文章を書いていたのかさえ、分からなくなってしまったのです。いっそのこと、全てを投げ捨てて逃げてしまいたいと思うようになりました。
その頃から、色々なことに敏感になり、神経質になり、本当の目的を完全に見失ってしまいました。心から楽しんで書いていたエッセイは、常にランキングを気にするようになり、その度に一喜一憂するようになりました。外に出れば、見知らぬ子どもたちの声が聞こえて、無意識に耳を塞いでしまうことが増えていきました。
「もう、どうだっていい。何もかもうまくいかなかった。それでいい。今はただ、この現実から逃げてしまいたい」
そう心が叫んでいたのです。
それでも、友人は、毎回エッセイが載るたびに感想をくれました。書いている作品を彼は一番に読んで、応援をしてくれました。
「ランキングなんてどうだっていい。君の文章には、心を動かす力があるんだ。だから、目先のことに囚われないで、書きたいことをひたすらやり続ければいいんだよ」
そう言ってくれました。
友人たちも同じ保育士ばかりなので、辛さはよく知っています。だからこそ、「もう離れたっていいんだよ。仕事はいくらでもある。生き方だっていくらでもある。ただ、自分の代わりは、自分しかいないんだよ。本当に何が大切なのか、ちゃんと考えて」と言ってくれました。
それでも、時折考えてしまうのです。
今やっていることは、本当に意味があることなのか。私が仕事から逃げてしまうだけの弱い人間なのではないか。今もまだ、答えは見つかっていません。
ただ、人生の中でここまで真剣に取り組もうとしたものは、保育士以外では初めてでした。今、保育士という仕事から離れているからこそ、エッセイを書き続けて、新たなことに挑戦することは、必要なことなのかもしれません。
私以上に綺麗な文章を書く人はいます。誰もが読みたいと思える文章を書く人もいます。生まれ持った才能を発揮して、本を何冊も書いている人だっています。
残念ながら、私にはそんな才能はないのかもしれない。けれど、辛い経験や悲しい思いを沢山してきたからこそ、人間臭くて不器用で真っ直ぐな文章なら、誰にも負けない自信があります。
だからこそ、どれだけ今が苦しくても私は、文章を書くことだけは続けようと思うのです。支えてくれた人、大切な子どもたち、そして家族。気づかないところで、ずっと前から助けられていたから、今度は、私が恩返しをする番だと思います。
そしていつの日か、私と同じような境遇にいる人たちを助けられる文章を届けたい。保育士をしている人たちの声を、もっと沢山届けられるようにしたい。
それが、私の夢になりつつある。
いつの日か、過去の自分に「あの時は、よく頑張ったね。本当にありがとう」と言えるように、この先も夢への挑戦を続けていこうと思います。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。