淡いブルーの絵の具を落としたような、青い海に目が奪われて。この美しさを誰かに伝えたいと思った。

たくさんの人の前で、話すことができなかった私

遡ること幼少期。周りにたくさんの人がいると、頭の回線がプツリと切れた感覚になり、ひと言も話せなくなった。
人がたくさんいる場所で、周りの子から良いこと、悪いこと、何を言われても考えが止まってしまって。ただ下を向いていた。
とても気心が知れた友だちとの間だったら、私含めて二、三人だったら話せたのだけれど。やっぱり社会は怖かった。

そんな私を救ってくれたのは、絵本や童話の世界だった。
絵本は『こげぱん』とか『からすのパンやさん』とか、児童文学は『黒魔女さんが通る!!』とか『メディエータ』とか。ほのぼの空想世界に飛び込めるシリーズに夢中だった。

ページをめくるとぱあっと知らない世界が現れて、頭の中いっぱいに夢が膨らんだ。いつか空を飛びたいし、飛べるんじゃないかなあと本気で思ったときもあった。
喋ることは苦手。読解力は乏しく、国語のテストの点数はずっと悪かったのだけれど......読むことにいつも救われていて、純粋に好きだった。

言葉の世界が教えてくれた世界の広さ

大学生くらいになると、少しずつ人と話せるようになってきた。それでも、複数人と一緒にいる時には緊張が消えなかった。
その頃は純文学が特に好きになっていて、村上春樹さんとか、温又柔さんとか。外国的でほんわかした題材の作品に浸っていた。
街の景色や人の流れ、屋台の風景が細かく描写されていて、読むほどにその世界に引き込まれた。知らない国に行った気分になれるのがうれしく、本の中で私は旅をしていた。

大学では政治学を専攻することになり、思想や歴史、正直どれも難しかった。理解力の乏しさは相変わらず......必死に過去問を手に入れ、テストをギリギリに乗り越えていた。
唯一、フランス文化やアフリカ政治の授業が好きだった。どちらも教授が穏やかで優しかったのもあるけれど、エッフェル塔が作られた過程、アフリカ圏に広がる特有の思想感が面白かった。世界を旅行した気分になれた。

社会の厳しさにつまずき、自分と向き合う

22歳、社会に出た。馴染みのない街へ引越しをした。仕事が不規則なこともあり、生活になかなか慣れなかった。毎日ひたすら自分を奮い立たせていた。
辛いとき救ってくれたのは、住んでいた街だった。景色も人も食べ物も全部が言葉に表せないくらいに美しかった。街から少し離れたところに広い海があって、キラキラと光るブルーの水面は、フランス画家のモネが描いた『印象・日の出』みたいに柔らかい色彩をしていた。犬と散歩に訪れる人、ドローンを飛ばしている人......訪れるごとに生活の色が見え、「今日はどんな景色が広がっているのだろう」と飽きることのない場所だった。
この海まで来ると、昔夢に見た空想の世界に飛び込んだような不思議な気持ちに包まれた。

数年が経ち、その街と仕事に別れを告げることになった。本当はもっといたかった。言葉にできない気持ちだった。けれどそのわずかな間、本当にいろんなことを知って、たくさんの価値観を学んだ。人見知りもいくぶん克服できた。世界は広くて、本や絵の世界で見た景色は本当に存在していることを、短い人生で初めて体感した。

もっと自分を磨き、生きることに自信を持ちたい

ある日、幼少期に話せずにいた方の話をニュースで偶然目にした。親しい間柄では問題なくコミュニケーションがとれるのに、知らない人と接すると急に思考が止まり、何も考えられず葛藤したとのことだった。まるで自分の話ではないかと衝撃を覚えた。
悩んでいたのは私ひとりではなかったことに救われた。

幼少期、そして大人になってから。うまくいかないことが多く、毎日が淡々と過ぎてしまうことが怖い。いつも何かしら悩んでいる。
そんな自分を受け入れたいのに、飲み込むまでに時間がかかってしまう。

けれど、思い返すとひょんなことから発見や出会いがあって、いろんな場面であれこれに救われてきた。好きな本や絵本を読み返し、悩みを忘れていたり。はたまた、絵や風景を観に出かけて、モヤモヤが晴れたりもあった。
「ありがとう」を伝えたい人やモノで溢れている。

これからは受け取るだけでなく、少しずつ返していきたい。もっと表現力を磨き、いつか誰かのためになれたらいいな。不安を恐れず、ワクワクした気持ちを忘れず、真っ白なキャンバスいっぱいにきらめく未来を広げていきたい。