ブラック・ジャックに似た高身長のその人は、黒服の内側から一本の赤いバラを取り出し、そっと私に差し出した。透き通る彼の瞳と目があって、吸い込まれるような眼差しに惹かれ、目を反らせなかった。
すらりと背筋の伸びた彼と背丈の低い私しかいない、特別な世界――。

もちろん、これは私が幼少期に見た、夢の中での話である。

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一目惚れをした。
約20年前、夕方に放送されていたアニメ『ブラック・ジャック』。主人公のブラック・ジャックは腕の良い天才医師で、無免許で活動をしている男性。黒服に身を包み、髪の毛はホワイトとブラックの二色カラーが特徴的だ。

まず、見た目が好きだった。アウトローな生き方ではあるが、芯があり、周りの人に愛されていて、「かっこいい!」と私は釘付けになっていた。エンディングを飾る大塚愛さんのラブソングの歌詞に大共感しながら、早くも翌週が楽しみだった。

しかし、すぐに失恋した。
放送を見ていくうち、ブラック・ジャックと一緒に生活するチャーミングな助手・ピノコがパートナーという立ち位置であることを知った。しかも、ブラックジャックには過去好きになった人がいて、研修医だったときに同じ医局にいた、聡明な後輩だった。

引っ込み思案でマイペースな私は二人とは対照的。仮に彼と同じ世界にいても、私は好きになってもらえるタイプではないのでは…...と早々ショックを受けていた。
今であれば、彼はあくまで仮想のキャラクターであり、「どんなに好きであっても、恋愛関係になることはない」と考えることができる。ただ、恋をすると周りが見えなくなる…...ところは、当時から今までも変わらずである。

そうこうしているうちに、私は27歳になっていた。恋愛とはご無沙汰しているこの頃、先日、親しい友人からある報告を受けた。

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「私、結婚するんだ」
今年のはじめ。その友人とLINEで、「新年、おめでとう」といったやりとりをしていた。大学時代に出会い早8年、今はお互い離れた場所に住んでいて、数年間、会えていない状況だった。けれど、年始や互いの誕生日にはやりとりをしていて、恒例にメッセージを送り合っていたところだった。

「結婚する」という言葉を見て、しばらく画面を動かすことができなかった。数分後、ハッと現実に戻り、「おめでとう!」の言葉と共に祝福を意味するスタンプを送った。しかし、その返信を打つまでの数分間、思考が止まっていた。

彼女とは学生時代、しょっちゅうお出かけしていた仲だった。一緒にいるのが楽しく、結婚の話をあれこれ聞く中で、彼女が幸せそうで私も嬉しい気持ちになった。なのに報告を受けたあの時、なぜ考えが止まってしまったのか。

ここ数年は毎月、同世代の誰かしらは結婚をしていて、人づてに聞いたりInstagramの投稿で知ったり。だから、結婚という言葉にはそんなに驚くはずはなかった。

私の親しい友人の中で、結婚するのは彼女が初めてだった。報告をもらったあの時、結婚というものが今までになく現実的なものとして感じられ、すぐ言葉を見つけられなかったのかもしれない。何も進んでいない自分がひとり取り残されてしまったような感覚になったのだと思う。

そして彼女は今秋、身内で小さな結婚式をあげていた。写真と動画に映る友人はまるでプリンセスみたいだった。その翌週、私は一つ歳を重ねた。

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「私、いつも趣味と仕事のことしか考えていなかった……」
社会に出て数年が経つ。結婚して子どもができて……人生の選択肢はいくつもあるのだった。それを27歳にして実感した。焦るような、けれど今のままでも良いのかなあなど、ひとり会議を毎日している。

ひとまず、恋をしてみようかな。

未来はわからないけれど、もしその人がフリーだったら。迷惑かもしれないけれど、「好きです」と告白してみたい。ブラック・ジャックに失恋したあの頃の私に、「ずっと先の未来で、素敵な人に出会えるから大丈夫!」と伝えられるかも。

そんな未来の選択肢を増やそうとしている今。
2022年、秋。新たな恋に向け、出発した記念すべき秋だったと言いたい。