数々のクズな元彼をエッセイに書いて気づく。私も同じ仲間だった

私は、今まで沢山の人と付き合い、それをネタにしてエッセイを書いてきました。それもこれも、全ては元彼たちに復讐するという使命を果たすために。数々の辛い過去と向き合うために、当時の記憶を浄化させるためにも。
しかし、元彼のエッセイを書いていく中で、私はあることに気づいてしまったのです。
もしかすると私自身も、同じクズの仲間だったのではないかということに。
今までの恋愛を振り返っていくと、私の恋愛の仕方にも問題があることに、気づき始めました。
一番初めの彼に対しては、彼を財布がわりに使っていた「貢がれたい女」になっていました。
二番目の彼には、自分の思いが中々言えずに「言いなりになる女」になっていました。
そして、次の恋では、好きという気持ちが勝ってしまい、周りの意見も聞かずに、会い続けていた「都合のいい女」になって、同時進行されていました。
片付けができず、お金にも無頓着な彼に対しては、まるで母親のように全てのことをやっていた「母ちゃんのような女」になっていました。そして挙句の果てには、どれだけ遠距離でも会いにいく「通う女」として、お金も時間もかけて通い続けていました。
どの彼氏と付き合っていても、私は、その人の色に染められながら、分別がつかなくなっていき、盲目モードを発揮していました。何度も友人たちに止められ、助言を受けても付き合っている間は、一切聞くことはありませんでした。
だからこそ、多くの恋愛で失敗を重ねて、自らを不幸の底へ落とし続けていたことに、ようやく今になって気づくことができたのです。
根底には、自分に自信がなかったこと、そして、彼らの色に染まっていくことで、安心感と幸福感を味わいたかったのかもしれません。しかし、どれだけ合わせていても結局は、上手くいくことはありませんでした。愛されているのではなく都合よく使われていただけでした。一番初めの彼氏にしていたことを、後々自分がされてしまったのです。
元彼たちは、私と別れてからすぐに、別の人と家庭を持ち幸せに暮らしていました。私はというと、しょうもない恋愛を繰り返して自暴自棄になり、私自身を大切にすることもなくなっていました。「なんで私ばっかり、あいつらは幸せになっているのに」と人のせいにして、自らの過ちに気づこうとしませんでした。そんな人間に幸せなんて来るはずもなく、長い間、孤独に身を埋めて過ごしていたのです。
もしも、エッセイを書いていなかったら、元彼たちをネタにすることもなく過ごしていたら、私の人生はもっと拗れていたでしょう。ただ、元彼以外にもエッセイを書くようになって、自分と向き合う作業をするようになってからは、少しずつ当時を振り返り、見つめ直そうと思えるようになっていきました。確かに当時されたことを許せるかと言われたら、無理だと即答するでしょう。
でも、それはそれでいいのかなと思っています。
その中で、どうやら私も彼らと同じでクズだったことに気づき、向き合おうとしている。
それだけで今は、十分に思えてしまうのです。
今までされた屈辱の数々は、忘れることもなければ許すつもりもありません。
ただ、こんな私でも愛してくれる人に出会えた今は、同じように彼を愛し、お互いを尊重し合える関係になれるように、手を取り合い頑張っていきたいと思うのです。過去の私があったからこそ、大切にしてもらうことのありがたさが身に染みてわかるんです。元彼たちがいたからこそ、彼の沢山の良さに気づくことができるんです。そういった意味では、過去の私たちに感謝をしてもいいのかなと思います。
簡単で単純な答えを出すのに、随分と時間がかかってしまいました。ただ、こうしてエッセイを書くことで、そんな自分とも向き合えるなら、いくらでもクズな自分も書いていきたいと思います。
きっと今までの人生は、エッセイを書くための盛大な前振りだったのでしょう。そして、これからもクズな元彼やクズな私をネタにして、多くの文章を残していこうと決意を新たに、ネタ探しの旅へと過去に遡るのです。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。