女の社会は、とても怖く、時に残酷だ。
昨日まで仲がいいと思っていた相手が敵になることがある。表向きの笑顔を作りながら、悪口や噂話を言って裏で嘲笑う。そんな環境に私は、ずっといた。サバサバ系を装う人こそ、ネチっこさを感じる言葉をかけてくる。
噂話を楽しみ、気分の浮き沈みを人のせいにして、言いたい放題言っていた。優しい言葉には、必ず裏があって、何度も、何度も、裏切られてきた。
信じた相手に、好き放題言われてしまう環境がうんざりだった。

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数年前まで、大変なことがありながらも、みんなが協力し合える職場だった。厳しい先輩には愛があって、困った時には助けてくれる頼れる人だった。
沢山のことを学んだし、必死で仕事も覚えた。いつか、先輩のようになりたいと心の底から思っていたから。けれども、新型コロナウイルスが流行したあたりから、職場の雰囲気は、少しずつ変化してしまった。
「無駄な話はしないで」と言われてから、職員同士の会話は激減してしまった。
嬉しかった話、子どもの成長を感じた話、クスッとしてしまう姿。本当に色々な話をしていたのに。全くと言っていいほど、会話はなくなり、何かあれば「感染予防対策をしてください。職員は、基本外出を控えてください」そう言われるようになった。
だから、みんな我慢をして、プライベートで発散することも出来ず、仕事だけをする日々が続いていった。新しい生活様式は、保育の現場にも要求され、行事のやり方や、感染対策について話すことが増えていった。

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本来なら、園長や主任が指揮をとって、一緒に考えていくことも「あなたたちで考えて」と丸投げをされて、気に入らなければ怒られる。そんな理不尽な状況に、どんどん現場は疲弊してしまった。
少しずつ歪み始めた環境は、私たちの心に陰りをみせて、ギスギスした雰囲気が流れるようになった。自分が一番頑張っていると言いながら、少しでも気に入らない人に対して、ありとあらゆる理由をつけて、文句の対象にしていった。
まるで、日頃の憂さ晴らしをするように。
私は、そんな環境に耐えられなくなり、ある時から、誰かに何かを話すことをやめたのだ。傷つきたくなくて、嫌な思いをしない最善の策だと思ったから。
けれども、どんな状況でも悪い噂を流す人はいるし、敵を作って自己満の世界へ自ら溺れていく人もいた。結局、全てはストレス発散の対象になる人が欲しかったのだろう。大好きだった職場は、いつしか苦痛の場所になり、感情を抑えて無になることが精一杯になってしまった。子どもたちの声が遠くの方で聞こえるかのように、私の心には、何も届かないくらいまでに。

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あの職場を離れて、随分と経った。
休職中は、毎日が辛くて悲しくて、生きている意味が分からないことばかりだった。けれども離れたことで、不健康だった私は、少しずつ本来の姿を取り戻し、正常な判断ができるようになっていった。今まで、ずっと麻痺をしていた環境から離れることで、自分自身を取り戻せた気がしたのだ。
とても長かった。勇気を出すのに、随分とかかったせいで、心身ともにボロボロになっていたから。子どもたちに会えなくなることは、今でも辛く悲しいけれど、身を滅ぼしてまで、仕事をしようとは思わない。もしも、あのまま働き続けていたら、私の人生は、取り返しのつかないところまで落ちていたかもしれない。
離れることは、逃げることじゃない。
辞める事は、ずるい選択なんかじゃない。
私は初めて勇気を出したのだ。
自らの命と健康のために、思い出の場所から離れることを。

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そして今でも、あの職場で心をすり減らしながら働いている人たちがいる。
仕事の代わりはいくらでもいる。けれども、自分の代わりは自分しかいないんだ。搾取されるだけの環境に、しがみつくことほど恐ろしい事はない。
もはや、依存関係に見えるほど、おかしな環境と離れた私は、これから自分のために生きていきたい。そして、辛くて苦しいけれども、働くことを選んでいるのなら、勇気を出して辞める選択も考えてみてほしい。
人生は、人のために生きるのではなく、自分のために生きてほしい。
そして、もしも、勇気を出して辞める選択をしたならば、それは弱いことではなく、勇気のある行動だと私は思う。
だからこそ、後ろを振り返らずに、自分の決めた道を真っ直ぐ前を向いて歩いてほしいんだ。