友人と車に乗って目的地へ向かう途中に、見たこともない喫茶店がありました。一軒家風のお店は、通っただけでは分からない雰囲気をしていました。
チラッと見えた看板に心がそそられて、初めて入ったのがきっかけです。

入ってみると、優しさと渋さを兼ね備えたマスターと、笑顔の素敵なお姉さんがいました。そこで私は、ガトーショコラを頼んだのです。
綺麗に切られたガトーショコラは、今まで食べたどんなものより、美味しくて感動したのを覚えています。食べ進めていくと、どんどん幸福感に包まれる不思議なガトーショコラの虜になっていました。

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それから私は、暇があると喫茶店に行くようになりました。友人と行くこともあれば、当時付き合っていた彼氏や、いい感じになった人たちも何度か連れていったことがあります。そのうち私は、時間があるとフラッと一人でも行くようになりました。マスターの人柄に惹かれ、お姉さんの優しい声が聞きたくて会いにいっていたのです。
そこで必ず頼んでいたのは、「ブラッドオレンジジュースとガトーショコラ」でした。私が、文章を書くようになってからは、さらに行く頻度が増えていきました。家で書くよりも落ち着いて集中できるからです。

ある日、マスターは私に「エッセイ読んだよ!いつか僕のことも書いてください」と笑いながら言ってくれました。お世辞かもしれないけれど、私は、その言葉に随分と救われたのです。
というのも、当時の私は仕事が忙しく、文章を書くことが少しだけ辛くなり、色々なことが整理できなくなりつつありました。パソコンに向かっても、何も思い浮かばなくなり、「何をやってもダメなんだ」と思うようになっていました。
そんな時に、優しく温かい言葉に励まされました。
もしも、あの言葉がなかったら、私は書くことを辞めていたかもしれません。

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月日は流れ、今の旦那さんと付き合い初めの頃、喫茶店に連れて行ったことがあります。彼も、雰囲気と味をすごく気に入り、喜んでくれていました。
お会計の時、マスターは「新しい彼ですか?さすが早いな」と冗談まじりに、まるで悪戯っ子のように言ったのです。私は、内心ドキドキしながらも彼の顔を見ると、「何人も連れてきたん?」と笑って答えました。マスターのジョークをサラッと返せる姿に、「あぁ、この人はいい人だ」とおもわず驚いてしまいました。
それだけのことかと思うかもしれませんが、普通であれば、反応に困ったり、雰囲気が悪くなることもあるでしょう。ただ、マスターとの関係性や、彼の人柄があって成立した会話だったのです。

それからも、彼と喫茶店に行くことや、友人と行くこと、そして、一人で行くことも増えていきました。私にとっては、初めてできた行きつけの場所であり、初めて一人でご飯を食べに行くことができた場所なのです。人生で初めて、おひとり様の良さを知ることができたきっかけの場所でした。

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行くたびに声をかけてくれるマスター、そして優しく話を聞いてくれるお姉さんに、無性に会いにいきたくなる時がある。
あの時、ぼーっと車を運転しているだけだったら、知ることは出来なかったと思います。私にとって、それほどまでにあの喫茶店は、特別な場所なのです。
そして、これからも「ブラッドオレンジジュースとガトーショコラ」を食べるという体で、マスターたちに会いに行きたいと思います。

大人になってから、新たな出会いがあるなんて思いもしませんでした。ずっと、同じ人たちの中をぐるぐる彷徨い続けると思っていたけれど、こうやって知らない人たちと出会い、大切な存在になれるのだと改めて感じたのです。
マスターとの約束を果たすためにも、私の思いを綴る日々は、続けていこうと思います。