休職期間を過ごしている間、色々なことを考えていました。職場の人のことや、子どもたち、残してしまった仕事。初めの頃は、そのことばかりを考えていて、とても休める状況ではありませんでした。昔から、悪い方向へ考える癖があるからなのか、もっと前向きに捉えればいいことも、追い詰めるような考え方しかできませんでした。
もちろん、ご飯も食べられなかったし、起き上がることもできずに、一日中寝込んでしまうことも、ありました。

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休職期間から二ヶ月が経ったある日、彼は、こんなことを言い出したのです。
「最近、顔色が良くなった気がする。ご飯も少しずつ食べられるようになったんじゃない?すごいことだよ。回復に向かっている証拠だね」と。
私自身は、何が変わっているのかが分からず、「うーん、そうかな」としか返事を返すことができませんでした。
しかし、休み始めて三ヶ月が経つ頃には、自分でも分かるくらい、顔色が良くなり、食欲も増えていきました。ご飯の味が分かるようになったこと、美味しいと感じるようになったことが、嬉しかったです。
「食べるってこんなに幸せなことなんだ」と初めて思えたのかもしれません。

食べたものが、すぐに出てしまう恐怖で食べられなくなった日から、私にとって食事をすることは、ただのエネルギー補給でしかありませんでした。車にガソリンを入れると、どこまでも走ることはできるけれど、車はそのことを喜んだり、感謝したりすることはありません。
鉄の塊と同じくらい、私は食に関しての興味が失せてしまったのです。けれど、食べることを純粋に味わえた瞬間、ボロボロと涙を流して感動を覚えた私は、本当の意味で飢えていたのかもしれません。
この令和の時代に栄養失調と言われ、みるみる痩せていく体を目の当たりにすることが、どれほど辛かったか。
人と同じ量が食べられずに、申し訳なさを感じることがどれだけ負担になっていたか。

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ただ、今でも完全に食べられるようになったわけではありません。「もしも食べても出てしまうことがあったらどうしよう」というトラウマのようなものは、根強く残っています。けれども、少しずつ食べられるようになってからは、今まで蔑ろにしていた食べ物へのありがたさをヒシヒシと感じるようになっていきました。

そして何より、休職期間中に母は、「いつでもご飯食べにおいで。一緒に食べよう」と誘ってくれました。時には、作りたてのご飯を家まで届けてくれたこともありました。
栄養失調になるまで、食べることを当たり前だと思っていたし、母が料理を作ってくれることも、当たり前になっていました。いつしか、「いただきます、ごちそうさま」も流れ作業のようになり、気がつけば言うこともしなくなっていました。

けれど病気になってからは、自然と「いただきます、ごちそうさま」と言うようになっていきました。当たり前のことだけれど、そのことに気づくまでに、ずいぶん時間が掛かってしまいました。辛いことも多かったけれど、見えていなかった部分が見えるようになり、沢山の優しさに気づくようになれたのです。

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私が言える立場ではないけれど、もしも、誰かに作ってもらったなら、その時に言葉で伝えてほしい。
食べられることは、当たり前ではないんです。
作ってもらえることは、もっと当たり前じゃないんです。
色々な人の思いがあって、ご飯を食べられることを少しでも考えてみてほしいのです。
私は栄養失調になるまで、こんな大切なことに気づくことすらできませんでした。
だからこそ、日々食べられることに感謝しようと思えるようになったのです。そして、随分前から言わなくなってしまった「いただきます、ごちそうさま」を言うようになりました。
本当の意味で、ありがたさに気づけた今だからこそ。