元彼への「復讐」は書くことではなく、自分が前を向くことだった

皆さんには、悔しい思いをした恋愛はありますか?
あの時、自分の思いを伝えることなく、別れることになってしまった経験はありますか?
私はエッセイで、何度か元彼のクズエピソード、そして、自分自身もクズだったエピソードを書いてきました。何人もの人たちと付き合う中で、苦くて悔しい、忘れられない恋愛が、何度もありました。
喧嘩をしたり、価値観が合わなかったりして別れるのは、仕方がないと思っています。無理に合わせようとすれば、いつしか限界がきてしまうから。しかし、付き合っている最中、他の女性に目移りして、私との関係を続けておきながら、どちらにもいい顔をして、最終的に彼らが幸せになっていく姿を沢山見てきました。
当時は、悔しくて悲しくて、本当に虚しかった。
今でこそ、一つのネタとして書くことができるまでになりましたが、一度味わった屈辱と大きな傷は、そう簡単に癒えることはありません。もちろん私にも原因があって、一方的に相手が悪いと思っているわけではないけれど、忘れることはできませんでした。
私は、人生で二回浮気をされたことがあります。
一人目は、私を性欲処理の道具として扱い、他の女性と同時進行をしていました。結局その後、私を捨てて、彼女と結婚をしたのです。
もう一人は、母親のように身の回りのことを全てやっていたせいか、完全に舐められてしまい、その後、職場の人との人生を選び、彼もまた、その人と結婚をしました。もう二度と会うこともないと思っていたけれど、SNSのおすすめに出てきた瞬間、見てはいけないと思いつつ、投稿を見ると、幸せそうな姿が投稿されていました。
当時の私は、幸せなんて無縁の場所にいたから、自分の惨めな姿とやるせない気持ちで涙が止まりませんでした。友人たちには「いつか痛い目を見るから大丈夫だよ」と励まされてきたけれど、現実は幸せいっぱいの姿をしていました。「どうして、人生はこんなに上手くいかないんだろう」と、やりきれない気持ちが心を埋め尽くすばかりでした。
さらに私の心を蝕んだのは、一人の元彼が既婚者なのに、私に会おうとしたことです。表向きは、奥さんとのデートの投稿をしながら、元カノに平気で連絡を送り、会おうとするなんて、どこまでも変わっていないんだなと、ますます自分の見る目のなさに愕然としました。
元彼たちに復讐をするため、エッセイを投稿し採用されたとき、彼らの話を送ったことがあります。感想をくれた人もいれば、そのまま関わりを持たなくなった人もいました。
私の復讐は、完璧に行われた。
そう思っていました。
けれど、現実は違っていたのです。
いくら、彼らのエピソードを書いても、心は全く満たされず、むしろ虚無感しかありませんでした。私は、いつまでも過去にしがみついている可哀想な奴でしかなかったのです。
もう何年も前のことなのに、私は、過去の自分から一つも変わっていませんでした。心の中に刻まれた傷を引きずって、「私は、こんなに辛かったんだ!悔しかったんだ」そう思えば思うほど、惨めでしかありませんでした。ぶつける場所がなくて、言えなかった思いを今さら、文章で伝えても、なにも変わらなかったのです。
月日は流れ、ようやく私も、人生を共にしたいと思える相手に出会いました。
初めてでした。
気を遣うこともなく、ありのままでいられる人は。
私は、このとき初めて気がついたんです。過去を捨てたとき、本当の意味で幸せが舞い込んでくることを。
考えてみれば、過去に縋っていた時は、何もかも上手くいきませんでした。仕事も恋愛も、なにかしら問題を抱えて、一人もがき苦しんでいました。
しかし、今は、話を聞いてくれる人がいる。
負の感情を一緒に背負ってくれる人がいる。
小さな幸せを一緒に喜ぶことができる。
一番の復讐は、私自身が前を向いて、幸せというものに向き合うことでした。
もしも、悲惨な恋愛を経験していなかったら、日々の幸せを感じることは、なかったかも知れません。傷ついた経験がなければ、相手の痛みを知ろうとすらしなかったかも知れません。
元彼への復讐は、もう終わりにしようと思います。ただ、幸せになってほしいなんて、偽善者のようなことは言いたくないけれど、私のように傷つく人を、もう作ってほしくはないとだけ言っておきます。
そして、本当の幸せの価値に気づかせてくれたことには、心から感謝をしたいと思います。
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