「人はどうしようもないくらい、いい加減な生き物なんだ。でも、そのいい加減さが、どうしようもなく好きなんだ」。これは、私が好きな言葉の一つです。
有名な誰かの発言でも、偉人の名言でもなく、ふとした時に私の身近な人が言った言葉。生きていて、これほどまでに脱力感を覚え、肩の力を抜くことの大切さを知ったことは、今までにないくらいでした。

私の性格上、完璧にやらなくてはと思い、自分の首を自ら締め上げていくスタイルで生きてきました。それは、どんな時でも発揮され、仕事もプライベートも悩みは尽きなかったのです。時には「そんなに完璧にやらずに、ガス抜きしなよ」なんてことを言われたりもしましたが、力を抜くやり方が分からず、結局は、がんじがらめになって苦しくなってしまうのです。

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まだ、保育士としてバリバリ働いていた頃、いろんな場面で納得できないことがありました。もしも「人間はいい加減なんだ」という言葉に、もっと早く出会っていれば、私の運命さえも変わっていたかもしれません。

仕事をする中で、自分のことを棚に上げて注意したのに、同じことを平気でしている人がいました。本人は、まるでそのことに気づいていないかのように振る舞い、私を混乱させました。

他にも、私が言っても納得しないことを、人を変えて全く同じ提案をすると、すぐに許可が降りることもありました。その度に何故、人を見て判断するのか、何故、他人がやってダメと言ったことを自分は堂々としているのか、全く理解することができませんでした。その度にイライラしたり、悲しくなったりしながら、もっと頑張らなければ、もっと真面目に仕事だけを考えてやらなければと、当時の私を追い込み続けていたのです。

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しかし、どれだけ頑張ったところで、結果はいつも同じでした。そして、矛盾した行動をとる人もいつも同じでした。いつしか、確実に良いと言ってもらえるように顔色をうかがい、忖度をするようになりました。彼女たちが求めている結論に、限りなく近づけていったのです。すると少しずつ、私の話を聞いてくれるようになりました。

それならまだ良かったのですが、彼女たちには、ある一定の法則がありました。それは、「本人の機嫌がいい時に限る」という、最もいい加減で漠然とした法則だったのです。
だから、どれだけ私が忖度をしたとしても、意見に同調したとしても、無駄になってしまうことも沢山ありました。
特に一番困るのは、家で起きた嫌なことを引きずってくること、そして生理で気持ちが不安定な時も、隠すことなくぶつけられること。かと思えば、朝のことなんてなかったかのように機嫌が良くなることもある。そんないい加減すぎる人たちに巻き込まれ続けてしまったのです。

けれども、私は分かりませんでした。
「自分の努力が足りないから、求められていることを忠実に言葉にできていないから」そう思い込んでしまっていたのです。今考えれば、いい加減な人たちのいい加減な気分に振り回されただけだったなと思いますが、当時の私には、それすら考えられる力は残されていませんでした。

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もしも、あの頃に戻れるのなら私自身に伝えたい。
「あの人たちは、いい加減なんだよ。だから、自分の都合しか考えてないし、自分さえ良ければいいんだ。そんな人たちに何を言ったって無駄だし、忖度するなんてもっと無駄なことだよ。だから、もういいじゃない。『あの人たちは、いい加減な人間なんだ』って考えれば」と。そうすれば、少なからず私の気持ちもどこかで収まりどころを見つけられたかもしれません。今頃言っても遅いけれど、もう少し早く、あの言葉に出会っていればと思ってしまう時があります。

この先、生きている限り、いい加減な人間に嫌というほど会うことがあるでしょう。
そんな時は、「この人もいい加減で未完成な人なんだ」と思える心を育てていこうと思うのです。
だって、きっと私もいい加減な人間の一人で、同じようにいい加減に生きてもいいんじゃないかなと思えるようにしておきたいから。

そんな自分を好きだと言える私でいられるためにも。