夫婦として初めてのクリスマス。私にはプレゼントを買う資格がない

街は少しずつクリスマスの準備を始める。私は、ショーウィンドウに飾られたツリーを見ながら、ふぅっとため息をついていた。クリスマスにちなんだ関連商品が並び、誰かを思い浮かべながら買い物かごへ入れる人を見て、なんとも言えない気持ちになるんだ。
「誰かに贈り物をあげるのだろうか。それとも、家に飾る用として買うのだろうか」
そんなことを考えながら辺りを見渡してしまう。
私は、カバンの中の財布をキュッと握って店とは、反対方向へ歩いていく。
去年とはまるで違う状況に、きっと私自身も戸惑っているのかもしれない。
私は、今まで付き合ってきた彼氏とクリスマスを過ごした思い出がほとんどない。ディナーに行ったこともなければ、プレゼント交換をしたこともない。
けれど去年のクリスマスは、まだ恋人だった今の旦那さんと、幸せな1日を過ごしたんだ。
レストランに行ってディナーを食べたり、お互いにプレゼント交換をしたりした。そこには手紙があって、普段言えないことを文章にしながら書いたものを読み合った。その時間は、今まで過ごしたどのクリスマスよりも幸せで、満たされていた。そんな彼と今年、夫婦になって初めてのクリスマスが、もうすぐ訪れようとしている。
けれども私の心は全く晴れやかではなかった。
11月に約7年勤めた保育園を辞めて、無職になったからだ。今まで貯めていたお金は生活費と、今後の生きるためのお金だから、安易に使うことができない。好きなものを買うことも、彼に何かをプレゼントをして驚かせることも、今の私にはできない。
もしも、病気にならずに健康なまま仕事を続けることができていたら、彼が喜ぶ顔を想像して、プレゼント選びを今から始めていただろう。
けれども、今の私にはそれが出来ないんだ。
クリスマス特有の雰囲気が、私の気持ちをさらに暗くしていく。幸せな人たちとすれ違うたびに、自分が情けなくて惨めに思えてしまう。その度に「もっと、頑張っていれば何か変わっていただろうか」なんて考えてしまうんだ。
きっとプレゼントを用意できなくても彼は「そんなの気にしなくていいんだよ。二人で過ごすことに意味があるんだ」って言ってくれるんだ。けれども、その優しさが余計に辛くて、申し訳なさが溢れてしまう。だから、幸せそうな人たちを真っ直ぐ見ることができない私がいる。ふとした瞬間に、あの時の選択は正しかったのかと考えてしまう時がある。
こうなることだって辞める前から、分かっていたはずなのに。
実際になってしまうと、受け入れられない私がいる。時折、彼に申し訳ない気持ちになって、ほんの少しでも喜んで欲しくて、プレゼントを選ぼうと出かけてみるけれど、買うことはない。
お金が無いわけじゃない。明日生きていけなくなるほど、困っているわけじゃない。
ただ、今の私にはささやかなプレゼントを買う資格がないことが、悲しいんだ。仕事を辞め自由と引き換えに、生きていく大変さを感じている私には。
この話もいつか笑い話で語れる日が来るだろうか。
「あの時は、プレゼントを買う余裕はなかったけど、あの時も楽しかったよね」って。
今の私には、キラキラひかる世界に隔たりを感じながら、店の外で見つめることしか出来ないんだ。
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