エッセイや詩を書き始めてから、目には見えない繋がりを感じることが増えました。
今までは、旦那さんが、友だちが、私の作品を見て感想をくれることはあったけれど、知らない誰かが見てくれることなんてほとんどありませんでした。けれども、続けていくうちに小さな輪が少しずつ広がっていく、そんな感覚がするようになっていきました。

元はといえば、旦那さんが詩を書いていたおかげで、私も文章を書くことを始めたし、そこで自分自身を表現するというやり方を知りました。SNSを通して、私の作品にコメントをくれる人もいれば、「いいね」を押してくれる人もいる。目に見える形で私という人間を知ってもらえることが、何より嬉しかったのです。

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そんな時に、一人の青年からコメントをもらったことがあります。
おじいちゃんが亡くなった日のことを書いたエッセイに、青年なりの想いを文章にして届けてくれたのです。
感想の最後に「ゆきどころのない感情が救われました。書いてくださりありがとうございました」そう締めくくられていました。彼もまた、大切な祖父を亡くして深い悲しみの中にいたのです。
たまたま私が書いたエッセイと重なる部分があって、青年なりの言葉で伝えてくれたのでしょう。真っ直ぐで透き通った彼の気持ちに触れた時、私は嬉しさと、私自身も報われたような気がしてなりませんでした。

私がエッセイを書くたびに、青年は陰ながら応援をしてくれたそうですが、私はそのことを知りませんでした。時折つけられる「いいね」の欄に彼の名前がありましたが、特に会話をするわけでも、想いを伝え合うこともしませんでした。

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しかし、ある出来事が青年と再び関わる機会を作ってくれたのです。
今まで書き続けていたエッセイが、沢山の人に触れることが増えたことで、初めてランキング一位を獲ることができました。
純粋に嬉しくて、ようやく新たなスタートに立てたような気がした私は、その気持ちをSNSで発信したのです。すると、青年は私の投稿にコメントを残してくれました。まるで自分のことのように喜び、「おめでとう」と素直な想いを伝えてくれたのです。

私はあまりの嬉しさに、思わずDMをしてしまいました。青年の言葉で一度救われたことがあったから、そのお礼も兼ねて感謝を伝えたい、そう純粋に思えば思うほど、気持ちを伝えられずにはいられなかった。
返信の中に私のエッセイを毎回見ていること、読みながら色々な感情になって私の記憶を追体験していること、そして何より私の書いた文章に励まされていることが書かれていました。

私は青年と一度もあったこともなければ、声を聴いたこともありません。一度だけ、旦那さんは直接会ったことがあるらしく、青年自身も自分の作品に対しての苦悩や嫉妬心みたいなものを抱えていると話していたそうです。沢山のライバルがいる中で、他人の作品を読んで攻略しようとしても、どんどん自分との差に愕然とする時があると。
ただ私は、思うのです青年からもらった言葉の数々は、紛れもなく私の勇気になって、励みになりました。会ったこともない人だけど、そこには想いや感情、温もりを確かに感じました。

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才能は、誰しもあるものです。そして、表現の仕方だって色々あると思います。
私だって文章を書いていても、他人と比べて自暴自棄になったり、悔しくて弱音を吐いてしまう時がある。それぞれが持っている不安定さの中で、本当の自分を探し続けているのです。ただ、青年の言葉を読み解く力は、誰にだって真似できることじゃない。

ライバル心が書いている人の想いを感じる力となって、伝える才能として表れている。
残念ながら私には、その才能は全くないんです。文章を書いている人はいくらでもいるし、本を読んだり簡単な感想文を書いている人だって、沢山います。けれど青年のように作者の想いを隅々まで読んだ先に、言葉の中にある感情を読み取りながら伝える人は、一握りだと思います。

表現の仕方は、少し他の人とは違うかもしれない。もしかしたら、青年自身もまだ自分の才能に気づいていないかもしれない。だからこそ、これからも悩みもがきながら本当の表現者になっていくのだと思います。彼の言葉で励まされた私のように、きっと彼の才能を待っている人はいるはずだから。